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主観と客観
昔、隅田川沿いにお化け煙突というのがあったらしい(大阪にもあったみたいだ)。煙突は4本立っていたのだが、見る場所によって重なって1本にも2本にも3本にも見えたのが名前の由来なのだとか。このエピソードは、私に主観と客観というテーマを想起させる。一見、煙突は1本だろ!というのが主観で、実は4本でしたというのが客観という感じがするけれど、考えてみれば「A地点からは1本に見える」というのも客観的な事実の訳で、そうすると客観の総体は「煙突は4本だが、見る場所によって1~3本にも見える」ということになるのかもしれない。(硬い出だし)
小学生の後半、何だか自分は写真うつりが悪いなあと不思議に思っていた。まだスマホもデジカメも無いから、自分が写っている写真を目にするのは遠足とか運動会とか機会が限られたけれど、何故か写真に写っている自分がみんな太めなのだ。ずっとおかしいなあとイメージとのズレを抱えていたのだが、考えてみたら当時は日常で鏡を見る必要がほとんどなく、中学生になって(色気づいて?)鏡を見た時に初めて、あれ?俺ってもしかしたら太ってる?と気付いた。それから意識的にダイエットしたので、卒業する頃には何とか標準レベルになった。
芥川龍之介に「藪の中」という作品がある。私はずっと「真相は藪の中」という言い方が先にあって、それを踏まえて芥川がタイトルをつけたものと思っていたのだが、この作品が書かれたことでそういう使い方が生まれたことを最近になって知った。ある男の死を巡って、3人の証言が互いに違っていてどれが真相が分からない。未だに謎解きはされていないようだが、久しぶりに再読してみて、芥川が書きたかったのは「人は主観で(自分にいいように)ものを言う」ということだったのかもしれないなと思った。
さて、いい歳になった私は、流石に今ではちゃんと鏡を見る。毎朝ヒゲも剃らなくてはならないし。でも、後頭部を見る機会はあまりない。先日、何かの折に後ろから撮られた自分の写真を見て驚いた。私の髪はこれしかないのか!というか、周りからはこう見えているということか?正面から見ればまだこんなにあるのに、カメラのレンズにはこの髪が見えないのか?技術の進歩はどうしたんだ?(客観的には八つ当たりとか逆切れの類いだな)かくして主観と客観の闘いは続く…。