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夏の朝を歩く

 午前4時過ぎ、まだ日の出前の彼は誰(かはたれ)時にヒグラシが鳴き始める。子供の頃、ヒグラシは夕方に鳴くものだった。勿論今でも鳴くのだけれど、最近はばたばたしていたり冷房で部屋を締め切っていたりで印象が薄い。昔は夢の中で聴いていて、本当に鳴いているのか半信半疑だった明け方のヒグラシを、半世紀の時を経て薄く開けた窓越しに聴く。変わったこと、変わらないもの…。
 いつもより少し早めに散歩に出かける。外に出ると、西の空に十六夜の月が明るく残っている。家並みの外れまで来たら、緑の絨毯の上にかすかに白い靄(もや)。いつの間にか稲が随分伸びて、これからあっという間に出穂の時期を迎えるのだろう。東へ向かう道の先から日が昇って、右手の鎮守の森に朝陽が当たる。その上の空はよく晴れて、爽やかな青の上に刷毛で描いたような白い雲が浮かんでいる。確か梅雨明けは未だだったはずだが、気象庁には気象庁の都合があるのだろう。こちらはこちらで勝手に夏を宣言してしまえばいい。
 昨晩は、森見登美彦氏の「新釈走れメロス」の冒頭に収められている「山月記」を読んだ。あの中島敦の名作を、京都を舞台に換骨奪胎したものだ。面白かった。初めから「山月記」は京都の話だったのではないかと思える程で、吉田寮にはそういう学生が居そうだし、東山からその奥に連なる山々に天狗が飛び去っても何の不思議もない。森見さんは太宰の「お伽草子」から着想を得たのだろうか?「カチカチ山」で、泥船と共に沈む狸の最後の台詞が好きだった。
 学校はもう夏休みのはずだけれど、そう言えば近所の公園で行われていたラジオ体操に集まる子供たちの姿を見ない。場所が変わったのだろうか?子供の数が減ってしまったとか?今だと、ラジオの音がうるさいと苦情を入れる人がいても最早驚かない。変な世の中になってしまったものだ。首から下げて、毎朝ハンコをもらったカード。昔は40日間毎朝あったけど、何となくお盆過ぎは休みが増えがちだったな。
 帰りは西に向かって歩く。明るさを増した空の中で、月はもう白くなって輝きを失っている。今日も暑くなりそうだ。あと数日すればミンミン蝉が鳴き始めるだろう。いよいよ夏本番だ。四季の中で、夏だけその一回性が抜きん出ている。何とはなしに「今年の夏はどんな夏になるかな(しようかな)」と考えてしまうのは、やはり遠い夏休みの記憶のなせる業だろうか?


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