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小説詩集2「恥ずかしランタン」

悲しみが募ったとき心がふさぐけれど、絶望的に傷を負ったとき寒々しくて口を閉ざすけれど、あまりのトンチンカンさにバカだと思われたろうと恥ずかしくなると、胸の中の恥ずかしランタンに火が灯る。

ランタンが心のまあるい空間にポッと灯ったかと思うと、それはどんどん大きさと明るさを増して膨れ上がってゆく。
すると昨日まで無口だった私が、もう大通りから入り組んだ裏通りまで子猫のようにうめきながら歩きはじめる。
人気がないところではドラ猫になる。
記憶の中の記憶をふき取るように。
だから、うめき声は最初意味があるけれど、次第に書き損じを消す消しゴムのようにミャーミャーとがむしゃらに吐き出される。

電話をかけながら同時にメモができなくって、メモ用紙にはグチャグチャな文字が散乱しているだけ。それを見られたくなくってコソコソと清書してお渡しする。
ああ、こちらを見ないでください、という自分の姿を思い出すとやはりミャーと消したくなる。

銀行いって数字を間違えて書き直す。やっと出した用紙にハンコがなくって、あらこんなミスは久々ですっという風を装って、汗だくで引き返す。
翌日銀行に行って、ああ、あの人じゃなきゃいいのにって丸まった猫のようにしていたら、昨日と同じ人に当たっちゃって、こんにちは、なんて言うけれど、その前も、またその前もモタモタしていたわけで得体のしれないふくらみが胸の中をしめていく。
それは恥ずかしランタンってやつで、どんどん膨らんで火が灯る。
夕方ともなると路地を歩きながら今日をかき消すのだけれど、ランタンはどんどん大きくなる。

そうしたら、体にランタン癖がついちゃって一つ行動するごとに、意識もないのに自動的にランタンに火が灯る。それが心の中でぎゅぎゅ詰めになってもうどうすることも出来ない。

週末に食事にさそわれてミャーとついてゆくけれど、帰ってくるともう帰る道すがら何かが恥ずかしくなる。
休日は占領するランタンに侵されながら、時間という小魚のような物質をポリポリ食いつぶす。
週末の食事と休日はもうセットになってしまって、私の小魚は無駄に食いつぶされ続ける。
やがて、神様だけに恥じなければいいんだ、という単純なことが体得出来てなかったのだと思いいたる。神様は、わたしだけを見てればいいんだよってじっと私をみつめてる。
ランタンが、ついにたまりかねて心の地上を離れ空高くのぼってゆくのを見送ったら、私はまた明日という実践の場にのぞむのだ。

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