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小説詩集3「ネギのその青ネギ」

「あなたに、青ネギの話をしておくわ」
私は許しておくことができなくなって振り向きざまに妹よ、と宣告した。
妹はきょとんとしたままだったけれど、私は許さず続けた。

「あなたのお母さんと私のパパが結婚することになって、あなた達がやってきた時、私は拒絶もしなかったけれど歓迎もしていなかった。
というか歓迎するだけの気力がなかった。でも態度が悪くなってはいけないと表には出さなかった。そのことについてはあなたにだって覚えはあるでしょ」
妹は無言だった。

「そんな新しい、あるいはどうでもいい日常が始まってから数か月したころ、あなたのお母さんと買い物にいったの。小学生だった。
あなたのお母さんは仕事帰りに、ピアノか何かの習い事の迎えに来てくれて、その帰りのことだった。
お母さんはネギを手に取ると、このネギの頭のところ切ってくれない?って通りがかった店員さんに頼んだの。そう、あのネギの青いとこ。
私は仰天したわ、だって私のママだったどうかしら。きっと細かく刻んで餃子に入れたわ。それからお味噌汁にもスープにも、焼き豚の臭み取りにもしたと思う。
なにしろお料理や工夫が好きだったから。それをどうせ使わないからって。もう一度言うけれど、仰天したわ」
妹は上目遣いにこちらを見た。

「だから、一瞬でこの人じゃダメなんだって思って顔をそむけた。けれど次の瞬間全く違う見解が現れて、ネギは棒グラフか何かのように私の中で変貌したの。私の世界が一変した瞬間だった。この人は得られるものには限りがあるってことを知っているんだ、ってわかったの」
妹は目を閉じてからうるさそうに髪をかき上げた。

「お母さんは青ネギは使わない。でも、その全体に対してはお金を支払うわけだけど、だからって後生大事に使いもしない青ネギまで冷蔵庫に入れて1ミリも損しまいとするなんて無意味なことだと分かっていたのよ。
それで今まで解けないで持っていた疑問が次々と解決することになったの」
私は続けた。

「クイズ番組に詐欺師に騙された夫婦が出ていた。一千万円失った老夫婦が一千万円の賞金獲得に挑戦するの。
妻は九百万まで獲得したのよ。そこで踏みとどまるか、満額一千万に挑戦するか、失敗すれば百万円しか残らない。
司会者が選択を迫る。妻は苦慮したのち一千万への挑戦を選んだわ。すると最後の問題でつまずいて獲得賞金は百万円。固唾をのんだけれど何もかも水の泡になってしまった。
これを私たちはどう選択すべきなのかしら?と私はずっと考え続けていた。
もう老夫婦はすべてのたくわえを失っているのよ。妻が果敢だったことに問題があったのかしら?
朝毛布をめくりあげるとき、顔を洗う時、朝食が終わって食器を片付ける時私は考えた。
学校で誰かが教科書を音読しているとき、教室の窓辺で校庭をながめているとき私はその問いを考え続けた。
交差点を渡り終えて振り返りざま、家のドアのカギを開けて電気のスイッチがカチッというときも、いつもその問いが頭から離れなかった。
でもその青ネギを見て、そうなんだ、最後の百万円は詐欺師に付け込まれたこと、クイズ番組でチャンスをもらったことでもう支払われていたんだ、ってやっと理解できたの。
私たちは、百万円はすでに支払われたのだと知るべきだったのよ」
妹は話をさえぎるために身を乗り出してきたけれど、私は続けた。

「私のママがなくなってから、私はお味噌汁も作った。お洗濯もした。
そんな時いつも思った。ほんの少し残ったお味噌汁はどうしたらいいのか、詰め替え袋はいったいどこまで絞ればいいのかと。
ああ、そうなんだ、私たちはすべてを活用できるわけではないんだ、ってお母さんの青ネギが教えてくれたの。
そのめくるめく思考は一瞬の出来事だったけれど、私分かったわってあなたのお母さんをみつめたの。そして、この人ならついていける。この人は私の先生なんだ、あるいは大工さんだったら棟梁なんだって思ったの。
そして強い意志をもってあなたのお母さんを見上げたの。
するとお母さんは、じゃあいくわよ、ついてきて、って言ったわ。私は頷いてあなたの手を握った。そうしてお母さんに後れをとらなにように歩きはじめたの。それが私とお母さんの生活のはじまりだった」

「まだ分からない?あなたのお母さんは分かっていた。ネギに青ネギがあるように、私の中に青ネギがあることを。
お母さんのお葬式のとき、家族で棺にお花を散らしたわね。棺いっぱいに。
パパとあなたと私たちの妹と、そして見知らぬ親戚が寄ってたかって棺を取り囲んでた。
私はそっとそれから離れたけれど、あなたはそれに気づいて私を姉のようにひき戻し、手に花を握らせた。けれど、私の記憶はただ彷徨っていたのよ。暗闇にお母さんがいるようで探して彷徨ってたの。
だいいち、近親者の数が棺に対して多すぎるような気がしてた。
だから一歩ひいて見守ってたの。一人で花を添えたかったの。ただそれだけだった。
なのにあの時から、あなたは私の姉みたいになってすましているけれど、私の先々に進み出て靴をさし出したり、お箸を添えたり、ミルクを入れたりしているけれど、」
妹は怒ったようににらんだけれどそれは違うのだと私もにらみ返した。

「お母さんが生きているとき私は四角い箱だった。それはとても感覚的なものだったけれど、そうだった。私の中にはいくつもの可能性があったけれど、それをすべてやれるわけではなかった。
朝起きてお母さんに挨拶してもそこになにがしかの隙間があった。
成績表を持ち帰ってもそこには隙間があった。
土曜日の午後、お母さんと掃除を終えて、あたたかい飲み物を飲む時私は小さな疑問をお母さんと話した。私の四角い形は変わらなかったけれど隙間は色づいた。
お母さんと私と飲み物の時間がそれを満たしてくれた。そうだったの。本当にそうだったの」
妹がぼんやりと見えてきて、私は胸がいっぱいになった。お母さんがやはり逝ってしまったのだとのみ込めたからだと思う。

「だから、あなたに見えないものがあるのだとしても、こう思ってほしいの。私は四角い器で、そこに隙間もあるのだけれどそれも含めて私なのだと。見えなくても見えたことにしてほしいのだと。
それがどうしてもわからないならエアークッションを思い起こしてほしいの。
私の中にエアークッションが隙間を埋めるようにちょうどよい大きさで入っている。私はそうした四角い存在なの。
それはお母さんが買った青いネギのように使わないけど、支払うべき対価なのよ」
もう妹の顔は見えなかった。ただわきに来てしなだれた私たちの妹に手をやった。

「私のママが、お母さんを連れてきてくれた。だから今度はお母さんが私たちに何かを引き合わせてくれる。お母さんなら必ずそうしてくれる。
あなた達も、役に立たないあのパパもいるのだし、私はどんどん前に進むつもり。だから、みんなついてくるのよ、いいわね」
私たち姉妹以外は隙間に見えるこの家も完全に満たされているのだと思えた。ママとお母さんもそう思っているにちがいない。

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