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小説詩集5「レミとシラミの幻想」
明け方、不意に携帯がなって目覚めた。
母さんの着信音だ。だから、僕は飛び起きて携帯をさがした。
隣でねてるレミの腕をほどいて、学習用ライトが灯るテーブルに手を伸ばした。
この冬空の、寒いけれど、ほのかに温かみのある僕の部屋を切り裂くように音は鳴り続ける。
母さんに何かあったのか、と思う。100パーセント違うとは思うけど、それを覆すほどの悲劇をいつも心は思い描く。だから、ほんの数メートルが重苦しい。
あんなこともあったな、と思う。
徹夜のバイトから戻って寝入ったころ「おまえの夢をみたんだよ、それで心配になってね」と言う母さんからの電話。
「僕は大丈夫だから、ゆっくりねてよ」
こともなげに僕は答えた。そしてそっと切った。
あの時みたいに、と僕は思いを巡らす。
明け方母さんが僕の夢をみて、その夢の中には死んだ父さんがいて、まだ小さかった僕を抱いている。ハッと目覚めて、母さんは「夢見が悪い」ってつぶやく。そして僕に電話しようと、枕もとの携帯に手をのばすのだけれどその瞬間、鼓動が激しくなって体を揺るがす。だから、僕が電話に出ても、母さんは「苦しい」と言うことも出来ず、ベッドの下に転がり落ちる。
部屋はただ沈黙する。
そんな光景が、僕の見知った故郷で今進行しているのかもしれない。
レミは子供のように寝息をたてている。
レミと僕には父親がいないけれど、僕の父さんは小さい頃に旅立ったのだから、レミのいないというのとは違う。
レミが昨日こんなふうにポツリと言った。
「シラミ、私もう何にも聞きたくない。音なんか聞きたくない」
その言葉にはいろいろ含まれているのだけれど、彼女は整った音にひどく怯えているのだ。彼女のお母さんが音楽家でいつも旅に出ているものだから、美しい音色は彼女の敵になってしまったのだ。
「だから私経済学部に入ったの」
と彼女は言う。
「なのに、コンクールだけには出なきゃいけないの。おばあちゃんとママがうるさいから。それで、コンクールに行くとみんなの音が聞こえてくるじゃない。みんなは私と正反対の方向に向かって音を鳴らしているの。すると心が張り裂けそうになって、私、お父さん助けてって叫ぶの」
「ヘッドフォンで競馬の実況中継聞くしかないな」
「そうね。でも、人は人の音を聞いたら自分の音が出せなくなるのに、どうして人と関わっていくのかしら、謎だわ。だから私、チェロのすべての弦を釣り糸で張る夢をみるの。どんなに正確に押さえても、決して音程は当たらないわ。母さんがどんなにわめいても、おばあちゃんがどんなに口うるさくなっても、もうこの世の音という音は消滅してしまうの」
「パクパクしてるってことか」
「そう、パクパクしているようにしか見えないの」
着信音は鳴り続く。レミが寝返りをうつ。
僕は、僕の満ち足りたこの部屋の、小さな薄っぺらいクローゼットのその中に一頭の猛獣が眠っている幻覚を見る。すると、レミは音のしないチェロを大げさに奏でて猛獣をなだめるんだ。僕は、キッチンでいい匂いのするステーキを焼く。でも、それは猛獣になんか食べさせてやらない。「これはレミの分なんだ」と言って僕は得意げに皿に盛り付ける。
着信音がとまった。
「はいもしもし」
レミが出た。僕はあわててレミに頬を寄せて「もしもし」という。母さんの声がする。
「お金入れといたわよ」
「いや、電話じゃなくても、というか、早朝でなくても」
「この世とあの世は地続きだから、母さんは最後まで頑張り続けるつもり。それが言いたかったの」
母さんは、キッパリと言ったけれど、あなたも幻想の中ですか、と僕はため息まじりにつぶやいた。
おわり
❄️レミとシラミの出会いは、「他人のそらに」からはじまったんです。それがつよっといいんです。よかったらどうぞ。