見出し画像

小説詩集2「ステンドグラスのできるまで」

「人生の主役は自分なのだから」と誰かにはげまされたことがあったけれど、魚の群れる池に放り込まれると、私はいつも脇役なのだった。
目的もなく主題もなくどの角度から映し出されても意味はなかった。
そうか、だとすれば群れの中での私は脇役に徹すればよかったんだ。
問題は一挙解決した。

さて主役の時間がやってきた。
やわらかな窓辺の光を浴びながら好きなものを鑑賞し、揺れる葉をみつけたらその成長を自分の方程式にあてはめればいい。
食べ物だってやさしく作ったらいい。
主役の登場だった。
それなのに、池に放置されていた時間の記憶が私の主役の時間を蝕み始めていた。
恥ずかしさと、疑いと、あざけりが黒いシミになって私の生気を奪ってゆく。私は何もすることができず横になったまま病人となる。

映画の編集オペレーターが私の仕事だった。
監督とプロデューサーが私の後ろでゴーを出す。素材が多すぎるとやみくもに詰め込みたくなって、削るのに彼らは苦慮した。
「これはいいシーンだけれど使えないね。主人公の人生がぼやける」
「その通り、そこはカットだ。だけどどうだい、未公開シーンってことで別枠にとっておいては」
彼らの指示にそってつなぎ合わせていくと、ギリギリのせんでストーリーはたもたれた。

だから、私も土曜日に持て余した記憶の欠けらを、憂鬱な日曜日の午後に一つひとつ心臓という臓器の中から、もうこれ以上傷つかないようにと慎重にピンセットで取り出して、吟味して、色を組み合わせストーリーのはんだでつなぎ合わせながら小さな物語をつくり始める。
するとそこはもう私の世界で、力強く主役となってゆく。
集中力は記憶の痛みに比例して高まり維持される。やがてそれは、朝の湿り気に満たされた新たな生命の世界で、鼓動が静かに息づいている。

長い時間、私は集中力を切らさなかった。
だから手元にはきらきらとしたステンドグラスができあがっていた。
けれど傍らに、使えなかった色合いの断片が残っていて小さな山になっている。それは魔法のように私の内部へ戻っていったのだけれど、脳裏の浜辺では波が寄せてはひいていて、欠けらを沖のほうへと運んでいった。
砂浜は雲に覆われて晴れることはない。

脳裏の海は私の関知しないところで働き続ける。

波にもまれ、記憶はいつか手にとっても傷つかない丸い輝石のようになって砂浜に打ち上げられる。
やがて老いた私が背中を丸めてその半透明の石を拾い集める夢をみる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?