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小説詩集「成績とすべり台]Season2

僕は無気力に歩をとめた。
公園は無邪気に夢をみていた。
僕はしばらくの間、ただ茫然と公園の真ん中に突っ立っていた。
すべり台は降下するばかりだ。僕はその形状を茫然とみていた。

「おーい」
誰かが自転車を止めて声をかける。
僕はふりかえったけれど、とても無気力になっていたのですぐには返事をしなかったし、声の主が誰なのかも頓着しなかった。
「おーい、ひさしぶりだな」
彼は言った。そうだ、と思い当たった。それは去年まで同じ学校に通っていた友人だった。
「ひさしぶりだなあ」
彼はもう一度言った。
「ああ、ひさしぶり」
僕は観念して返答する。彼は嬉しそうにやってきて、自転車の荷台に積まれた花の苗を僕にみせた。
黄色や赤紫のつぼみをつけているものもあったが、ただの草のようなものあった。僕は植物に何の興味もなかったから、見ているふりをしてから「すごいね」と言ってやった。
「すごいだろ」
彼は苗が落ちないように自転車のスタンドを確認すると、まるで子供のようにすべり台へ駆け寄った。小さな小山のようなすべり台に駆け上がると、はみ出した体をのけぞらせて一気に滑り落ちた。そして、バカみたいに歓喜の声をあげた。
僕は近くのベンチに座ると、頬杖をついてそれをながめた。
友人はなおも猿のように叫んで滑り降り、雄たけびを上げた。
すべり台というものはひたすら下り、着地した地点から平行線をたどるだけ。のぼり、すべり落ち、もがき、二度と浮上しない。

僕は近頃よく考える。僕がいったい何をしたのかと。そして何をすべきなのかと。
テストというテストは、気まぐれに僕の誠実さの裏をかき、僕をおとしめ、僕の周囲の人々を落胆させる。僕は真実まじめな人間なんだ。しかし誤解はとけない。
テストというテストは、僕が熟知していることには無関心で、教師が気にもとめない素振りだった問題ばかりを並べたてる。
僕は答案に明快な解答をすることもできず、下手な手紙みたいな舌足らずな説明を提出するだけなんだ。
だれにも分からないんだ、僕がどれほど故障寸前な能力で機動しているかを、はなからこれ以上どうにもならない能力しか持ち合わせてないことを。

「おーい、お前もやれよ」
友人は僕にすべり台を促すが、ひとりでも十分楽しんでいるようにみえる。
そして規則正しく落下はつづく。僕は前かがみだった体を起こして手を振った。

もし、一度でも成績が僕に応えてくれたら、先生が僕の能力に快くほほ笑み返してくれたら、母親が僕の背の高さをほめてさえくれたら、おばあちゃんが報酬じゃないお小遣いをくれたら、どんなにか気持ちのいことだろう。
けれど誰もそのままを受け取らないから、僕の脳裏にすべてが未処理事項として残像を残す。

おいしい食事は美味しく腹に入るからいい思い出になる。気の合う仲間が相づちを打つから話は完結する。ピアノの稽古も花まるを付けられるから次の曲へ進める。簡単なことだ。だのにこうも残像が残るのはなぜか。
もう僕の周りにはテスト用紙のような友人と、両親がいるだけだ。
僕はそんなにも磨きこまなければ光らないのか?僕は髪をかきむしった。
ひとしきりかきむしって目を上げると、目の前に友人が立っていた。そうして僕の隣にどっかりと腰を下ろす。

「おまえはいいよな」
と彼が言う。
「何がいい、だよ。お前バカか」
「おまえ、ピアノはうまいし、勉強もできる。おまえ幸せだよな」
友人はしみじみと言うと軽く頭をかいた。
そういえば彼は園芸科を受験したのだった。けれど門前払いされて機械科へ通うことになったのだった。
僕はそのことを気にもしていなかったけれど、あの自転車の荷台にある苗をみると、あいつは相当に本気だったのだなと思う。
「俺ピアノそんなうまくないし、成績もダメさ。まるでダメ。学校の先生に軽蔑されているんだから」
「それはウソだよ」
友人は一歩もひかない。
「ほんと、まじめに、ホントだから。でも、お前みたいに本当に花が好きなやつこそが園芸科に入る資格あったのにな、世の中見る目ないよな」
僕は心の底から彼を受け入れなかった学校を非難した。
「オレ別に何ともおもってないよ。だってさ、植物の育て方は本を読めばわかるし、年取った人たちに教えてもらうと結構うまくいくんだ。それに、実際自分でやって覚えられるしさ。それよりも、深刻なのは資金のことさ。とにかく、親戚の誰かにお小遣いもらったら、それで苗を買うんだ。今日も、それで苗を買えてうれしかったのさ。そんな時おまえに会えるとはな」
友人は「あと一回だけ」と言って、さらに二、三度すべり台を滑降した。それから自転車のところへ戻った。
僕は彼の苗をまじまじと見た。
「元気に育つといいな」
「育つよ」
「きれいに咲くといいな」
「咲くよ」
僕は、荷台の苗をみながら彼の自転車を押しはじめた。
友人はこぎ出す。
僕も思いっきり足をけって走りはじめる。
僕の複雑な機微を、この世界の誰ひとり知ることはない。
ただ、この瞬間のこの僕をこの友人だけがしっている。


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