小説詩集4「お母さんって叫ぶとき」
お母さんって叫ぶときはいろいろあるけれど、例えばもちろん困り果てて神様のことさえ思い浮かばないとき、お母さんって叫ぶ。
あるいは悔しくって、だけど絶対負けないんだと立ち上がるとき、お母さんって叫ぶの。
でも、なんでもないとき、ただ秋の風の中にいてふと口をついて出るの、お母さんって。
それが春の日でも、特になんでもなくドアを開けた時、窓を閉めた時、いつだってお母さんって言葉は口をついて出る。
そして、風に消える。
「お母さんが好きだからよ」
同級生が言ってくれた。
でも、今まではっきりと言わなかったけれど、私はみなしごなんだ。
だからそもそも私にはお母さんって言葉を使う資格も必要もないんだ。
けれど、いつだって口をついて出る、お母さん。
「わたしだったら神さま、ってよく言うけど」
それは私もおなじよ。しょっちゅう危機がおとずれるから、神さま、って言うの。
でもなんでもない瞬間に夏の日差しの中で、駅前の雑踏を歩きはじめるその瞬間に、お母さんって言ってしまう。
そして風のなかに消えるの。
「お父さんっては呼ばないの?」
同級生はいいところをつく。
そうなの、お母さんはしょっちゅう言うけど、お父さんとは特別言わない。
だけどやはりゴロかしらね、お母さんって言ったついでに、なぜかお父さんと付け加えるときもなかなかにあるわね。
でもさらに意味はないの。
「つまり、、、」
同級生が業を煮やしかけてきたので、核心に入る。
お母さんってね、場所も、時も選ばず不意に口をついて出てくる言葉なの。
息をするように自然と口からもれ出てくる言葉なの。
お母さんって言葉は、別にお母さんのことではなくって遠い古代からの母なるものの概念のことで、暖かく、肯定的で、この地上に生まれたからにはさらされる危険を慰める言葉で、やはり私はその言葉に頼るの。
子犬の長く響く遠吠えのように、お母さんと叫ぶの。
これは本当に根源的な概念なの。
だって、そうじゃなかったらおかしいでしょ、私はお母さんがいないんだから。
「じゃあね」
って同級生と別れた。
信号で立ち止まって振り返ったら、店のショーウインドーに映る自分の姿に驚いてしまった。
私ってこんなふうだったんだ。
思っていたより大人だった。
思っていたよりやせていた。
思っていたより髪が風になびいいている。
お財布をみたらお金があったから、私は信号を渡ってそのままカットショップに直行した。
「今日はどのようにしますか?」
「ええっと、お母さんが好きな髪型じゃなくって、私らしい髪型にしてください」
お母さんが私のことをバカだと思っているのだから、私は本当にむなしくみなしごなんだ。
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