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小説詩集3「信仰と祈りとあたしの体」

ヨガの先生があたしにつれないなあ、と思ってアドバイスを求めてみた。
「体が緊張するんですよね、あたし」
「ポジティブに考えないからよ」
「そこが、けっこう難しんですよ」
「ヨガを肉体だけで終わらせる人だからよ」
て、あまりにもつれないじゃない。

誤解だよ。あたしってもっと深い人間で、それ以外に取り柄はないってぐらい考えてるんだから。なのにさ、ちゃらちゃらした生徒には優しくしてさ。このヨガ教室も今日で終わりだなって、捨てゼリフして外に出た。

そのことをエッセイに書いて投稿してみることにした。
その時神様にね、ちょっとあたし祈った。「入選しますように」って。けっか思ったとおりかすりもしなかった。「やっぱりね」って思いながら落ち込んだ。

そろそろ仕事もしなくっちゃ、て思って、それほど気取ったところでもないところを狙ってみたけれど履歴書が戻ってきた。大したことではないけれど、あたし酷く落ち込んだ。

それでいよいよお金にも困ってきたなと考えていたら、その夜あたし不思議な夢をみて宝くじを買った。けれど、これもかすりもしなくってさ、さらに落ち込んだ。

そうこうしていたら成績めちゃくちゃいい自慢の弟がね、受験するっていうので今度こそ真剣に神様に祈った。
だって、自分のことならいざ知らず、あの子にだけは幸せでいてほしいじゃない。渾身の力を振り絞ってあたし祈った。
ところが驚いたことに弟までもがみすてられて不合格に。あたし心底おちこんだ。

落ち込んでいたら近所のおばさんが、手相を見てくれるって言うので右手を差し出した。
「あら、いい手相だわね。これは大変な幸運の持ち主だよ」って言った。
「全然、そんなことない」って手を振ったら、「あとは神仏に祈るんだよ」って教えてくれた。
いやそれは、もう嫌と言うほどやってるんだけど、と心の中でつぶやいた。
「神仏にはね、お願いしたらダメなのよ。ただ感謝するのよ」
そうおばさんは断言した。

しかたなく半信半疑で実践してみたけれど、三日もして驚いた。
下手に感謝なんかすると、心の中のあたしがこんな風につぶやいている。
「どうせ何もしてくれないんでしょ」
感謝を言葉にすると、自動的に心がそうつぶやいちゃう。
いくらあたしだって神様に文句なんかいいたくない。と思っていたら、ヨガの先生の言葉がにわかによみがえってきた。
「ポジティブに考えないからよ」
そうだ「ポジティブに考えないから」体が固くなるんだ。確かに固くなると何かと失敗してしまう。すると傷ついて悲しくなる。

あれ、ポジティブになれないのは本気で信じていないからなのかしら。
そうなんだ、あたしって「上手くやれるよ」って自分を信じてあげてないし、そもそも自分のことを神様が肯定した存在なんだって信じてなんかいない。
あたしは何一つ信じてもいなにのに取りあえず言われたままに「感謝します」って言ってただけなんだ。
感謝って何を?もちろん生きていることを。今というこの時間が与えられたことを、なんでしょ。だって、そうでなければ、祈る意味もないしすがる理由もない。

だから今日一日のこの舞台だけを感謝する。今日この一日だけを作り上げることに精を出す。
ポジティブシンキングだけがそれを助ける。ポジティブシンキングだけが信じてる証なんだ。
そのことを知っていたあのヨガの先生は、きっと腹立たしかったんだろうねあたしを見てて。

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