老いるトレーニング
そしていま、くたびれ果てたわが尻を硬い木の座部におろしてみると、長く困難な旅から帰ってきた人間のような気持ちになった。不運な旅人が帰還を遂げ、世界における己の正当な居場所をいま一度占める。ふたたびそこにいるのはいい気分だった。
自宅療養94日目。4:20起床。今日は診療とリハビリ。感染症の可能性があって塗り薬で対応しているが、傷口は塞がったから大丈夫だろう。1時間に一本のコミュニティバスで老人たちと共に向かう。湿布は一回64枚までという張り紙があった。どんだけ〜!という心の声が聞こえるが、自分の老化が進むとその意味が理解できるだろうか。
帰りはバスの時間が合わず、炎天下の中歩く。後半死にそうになり、歩く速度もガタ落ちで、タクシーをひろいたくなる。7月中の復帰は無理だった。それは自分でも理解できた。無理して復帰しても体力が追いついていない。先生の見立てと自分の体感が違うが、ここはプロの意見に従うことにする。足首の曲がる角度をとにかく元に戻したい自分、とにかく筋肉をつければ角度は自然に戻ってくるから筋トレ優先の先生。今週はかなりハードに筋トレをしていたのだが、まだまだ足りないとのこと。ふくらはぎはまずまずだが、太腿とお尻が全然足りない。専門的な解説とともにトレーニングのやり方を教わる。とにかくやらねば。
集英社文庫の新刊にクンデラ『ほんとうのわたし』と中村祐子『マザリング』を見つけて『!』となる。発売日は明日だが、早く入荷してる可能性があるので電話で問い合わせたがまだとのこと。明日の楽しみとしてとっておく。
若い頃と違い、暑さに対する耐性が弱ってきたのを実感する。汗が噴き出るたびに、一緒に体力もこぼれ落ちる。体力の総量が見えないのは困る。いきなりスイッチオフされてしまう。
昨日の時点で、弱ったレタスをスープにして食べちゃおうと思っていたのにそれを忘れていて、捨ててしまう。記憶の頼りなさが計画を奪う。
キャンドゥに寄り、念願のレモン汁を手に入れた。キャンドゥは駅から遠いので普段は行けない。病院の帰りに意を決して遠回りして向かう。ここのは量が多くて使い回しに最適。味も悪くない。5つ買ったので当分は大丈夫。
帰ったらグッタリしてしまい、横になったきり動けず。頭痛などはないので熱中症は関係ない。疲れるから外に出ない、みたいな考え方って今までもったことはないが、今後はちらほらと思うようになるんだろうな。老化とは肉体年齢と精神年齢の乖離に拍車をかけることであり、精神よりも肉体が物事の判断基準になるということだ。つまり肉体が優先される人生に路線が変わること。認めたくない気持ちはあるが、それは自然の摂理として受け入れないとダメなんだろうな。肉体の衰えと精神の劣化、どちらがまだ抵抗しやすいか。それを考えながら老いを受け入れるトレーニングとしたい。