ただ生きる
自宅療養24日目。6:45起床。すっきりしない目覚めだった。朝から素麺を茹でる。ミニマルな暮らしがしたくて、一年前にこの場所に越した時に冷蔵庫を買い替えた。家庭用の3ドアからホテルにある小型冷蔵庫に。だから氷が無い。あの細い麺をたくさんの薬味とキンキンに冷えたつゆに浸して一気にすする。それが叶わないのが残念だ。ギリギリ許せる範囲の冷たさを確保して食べた。
美術館に行きたい。残念ながらしばらく行ってない。特定の作家の、もしくはテーマ別に集められた作品を見て対話したい。作品との対話をすることでイマジネーションの歩幅を広げたい。想像力はゼロから飛翔できない。たった数センチでいい、地面から浮くためのきっかけが必要だ。アートというジャンルは、理解不能な作品に出会う確率が高い。理解不能だが何だか心が惹かれる作品。じっと眺め、タイトルを見る。作品理解の補助になる説明がついている時はそれも読む。そうして一つの作品と対話しているうちに、色々なイメージが浮かんでくる。その空間的な効果も相まって、普段なら思い描けないようなイメージが生まれる。その浮遊感とイメージが拡張していく体感は何にもかえられない喜びがある。
『小説のデーモンたち』(古川日出男)を読む。もう何度も読んでいるが、どのページを開いても、カッコいい一文がある。優れたデザイナーがサッと描くデザイン画のような優美さと、それが実際に服として目の前に現れた時の納得感のようなものがこの本にはある。自分の日常を記した日記をベースにした創作と小説論は時にダイナミックに、ある時は詳細に語られる。全体を通した手触りはシリアス寄りだが、ひたむきに自作と向き合う姿勢は感動的で、ここまで細密に見つめるのかと驚嘆するばかりだ。小説『ボディアンドソウル』がダンテの『神曲』とケルアックの『路上』をベースにしてるなんて気づきもしなかった。それを知ってもう一度読みたくなった。
仕事をしないことで軽減されるストレスと、こんなことをしてていいのかという不安がせめぎ合う。文字通り、ただ生きている。そこに何の意味があるのか。夜が怖い。日中は潜れない深層への扉が勝手に開く。あらためて自分と向かい合わねばならない。次の日のことなど全く考えなくていい状況で。オールフリーの呪縛。今をただ生きることは苦痛の持続に他ならない。