家飲みというドラッグ
2024.9.5。仕事に復帰してからクタクタの毎日が続いている。落ち切った体力を戻すのは本当に時間がかかる。少しづつでも続けていくという継続性の大切さを身をもって学んでいる。あと一カ月あれば、元通り近くまで戻せそうだ。コミュニケーションの方は問題なく元に戻った。あとは体だけ。
悪い習慣というのはすぐ身についてしまう。体力的に、一日おきに仕事場に行っているが、回復せず休みの日もグッタリしている。体は疲れはてているが頭は元気だ。しかし本を読んだり映画を観たりするのは負担が重い。全体的なエネルギー不足で坂道が登れないような。そんな感じだからか、とうとう家飲みを覚えてしまった。
お酒は規定の量だけ買う。エネルギーが足りないから、もう少し飲みたくても買いにいく元気はない。今のところこれでうまくいっている。いや、うまくいってるわけではない、そもそも家飲みなんてするものじゃないし、自分でも望んでいない。元気の無い一日を漠然と過ごすのが嫌で、ドラッグを注入しているだけだ。
酔いは冷静さを封じ込め、感受性をアップさせる。だから飲みながらドラマなんかを観ていると、普段より簡単に感動してしまう。セリフやシーンの表面的な部分に、いとも簡単に反応する。ジャブジャブ泣きながら酒を流し込む中年の悲哀振りったらないが、世を恨まず、他責もせず、小さな部屋で完結しているこの精神はまだまともだと思いたい。
職場での飲み会や個人飲みも連日のようにあって、もう酒づくしだ。自宅療養中の無口加減を全回収するかのごとく、誘われれば全て参加している。酒を飲むと距離感がバグる。良い面は、変に緊張せず、カッコつけることもせず、ナチュラルに会話できること。悪い面は、自分のペースで距離感を詰めていくので、観察を忘れると波長が合わず、キモいオヤジ丸出しになってしまうこと。
この前の会では、スタートを飛ばし過ぎて波長がズレたが、その後うまく回収できた。賑やかな雰囲気は他の人に任せて、聞き役に徹していると、相談会が始まる。みんなそれぞれの悩みがあって、こうすればいいという絶対の回答は無い。それぞれに合わせて、相手が考えていることから大きくズレない回答を心がける。所詮は飲み会での相談である。人の目もあるから、心からの回答は求められていない。
自分は悩んだらこの考え方から始めている。選択肢が少なければ増やせ、多ければ絞り込め。悩みがジャグリングのように頭を支配している時は、回すのをやめて、その球をテーブルに置くのだ。紙に書いて可視化するのもいい。その上で自分が取るべき行動や、起こり得る事態の可能性などを、3つくらいをベースに増減する。その過程でフォーカスがぎゅっとすぼまっていくので、余計な雑念を排除できる。
前回の悩みは旦那とうまくいってない、離婚したい、でも子供が小さいから…。というよくある悩み。
うまくいってない、という大きすぎるくくりでは先を考えるのが困難なので、まずは好きにエピソードを話してもらう。つまりは愚痴を聞きまくる。何となく全体像がわかったら、『別れ話が究極にうまくいったらどうしたい?』『されたら不快なこと、これは絶対許せないことは?』『逆にこれは我慢できる、あまり気にならないことは?』を聞いていく。先に愚痴を聞くことで、こちらも予想を立てやすくなっている。これは大げさに言ってるだけだなとか、回数は少ないけれど、これは毛嫌いしてる行動だな、ということがわかる。その上で彼女が取るべき選択肢を調整してあげる。時には手帳を出して、こちらで可視化しながら話す場合もあるけど、他の盛り上がっている連中が『そこ何やってんの?!』と興味を持たれたら面倒なので、前回は会話だけ。テーブルにあった調味料の小瓶は使ったけど。
酒を飲むと自分のメンテが疎かになるから注意しなければ。なるべく規則正しく、均等に筋肉をつけていくような。