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小説-「ずっと、好き」終

続きです。

 しばらくして、彼から二度目のショートメールが来た
 
 再会した日と同じように、雪が舞いひんやりとした空気に包まれていた。その日は傘をさしてなるべく濡れないように歩き、病院の入口でコートを脱ぐ。病室に着くと、彼は心許なくベッドに座って私を待っていたようだ。彼の力のないクシャっとした笑顔を見て、思わず涙が溢れそうになる。辛い治療と治療の合間のほんの少し身体がマシな時に、私を呼んでくれたのだろうか。
 
 「ごめんね。こんな事に巻き込んじゃって。」

「ううん。」

「もう、来なくていいからね。最期に言っておきたくて。」
 
 彼が精一杯の力で掠れた白い声を出す。
震えるガラス細工のような彼の身体を壊さないように思わず抱きしめたくなるが、外からのウィルスをなるべく入れたくなくて、なんとか堪える。消毒した手で、彼の青白くてほっそりした手を撫ぜるようにやんわりと握り締める。

彼の口元に耳を近づける。

「ずっと好きだったよ、、、ありがとう、、、会えて良かった、、、幸せにね。」

何とか聞き取れた声だった。
彼は言い終えてホッとしたかのように肩で大きく息をする。私も絶対言っておきたかった言葉を彼の耳元で囁く様に紡ぐ。
 
「本当に会えて嬉しかった。ありがとう、、、ずっと、好き。」

彼の顔を包み込むように両の手をそっと添え、マスク越しに、おでこにそれをそっと近づける。
二人の目には、今にも零れそうな涙がかろうじて、盛り上がったまま堪えていた。
最後にもう一度、今度はもう少し強く彼の手を握りしめた。このまま離さずにいたい気持ちを何とか胸の奥にしまい込む。

「じゃ、行くね。」

「うん。」

 私は傘もささずに一直線に彼と再会したあの公園に向かう。今日が本当に彼との永遠の別れ。涙が次から次へと溢れでて、雪にかき消してもらおうと、ベンチに座り、ずっと空を仰いでいた。彼のかすかな手の温もりが消えてしまいそうで慌てて手袋を嵌めてその中に仕舞い込む。彼の体温を忘れずにいられるだろうか心配になる。全てを丸ごと包み込んで自分の中に取り込んでしまいたい。急激に寂しさに襲われ、粉雪の舞う中、自分で自分の体を抱きしめる。粉雪の壁に遮断され、孤独に押し潰されそうになっているであろう彼を思い、一段と涙の量が増す。


 それから毎朝、地方紙のお悔やみ欄を確認しては、名前が無いことにホッとして一日を過ごす。地元の名家の人だから、その日がきたら、きっと載るんじゃないだろうかと私は考えた。
 
 
 彼の名前を見つけた時は、爽やかな新緑の季節を迎える頃だった。五月のある日、告別式があったようだ。彼を慕う人達が大勢お参りに行かれただろう。彼の人生を華やかに彩った女性達も多かったかな。誰にも知られなかった彼と私との関係は、人生の中で、接点の日はあまりにも少ない。でも、私にはあの三日間がある。それだけで、十分。


 私は彼と再会したあの日の公園に向かった。
 あの日、サク、サクと音をたてていた地面は、土の色を見せ少し生き返っているようだ。私が石に躓き転びそうになった場所。少ししゃがんで手を当ててみる。目を瞑り、あの時のクシャっとした弱々しそうな彼の優しい声と眼差しを思い出す。今も色が剥げているベンチに座ってみる。目の前には、あの日に無かったサッカーボールが転がっている。木々は瑞々しく、色の無かった雑草は、青々と息を吹き返し、所々タンポポの花が咲いていて葉の周りをアリが数匹重なっている。空を仰ぎ、胸一杯、息を吸い込み吐き出す。陽射しは眩しく、冷たい雪に包まれたあの日を、青く爽やかな風が優しく包み込んでくれる。何処からかシャクヤクの香りが運ばれてくる。気持ちいい。彼に包まれているようだ。


 あの再会がなければ、彼のことは胸の奥底に眠っていたままだった。


  彼がいた病室の窓の方を向き、「ありがと」を呟いた。


 今夜も主人と向かい合わせで食事をする。主人は今日も、その日あった一日の出来事を喋りながら、私の作ったほうれん草のお浸しに手を伸ばす。


かずくん

私は幸せに暮らしているよ。
          

終 


フィクションです

#忘れられない恋物語 +#小説


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