
自然界のデザインにもっと注目すると良い
人間は産業革命という重大な経験をした。
産業革命により、生産性は向上し、人間の生活は劇的に便利になった。
注文を待ってから生産するのではなく、先に製品をつくり、市場をつくる。
これにより、多くの物流が動く太い幹線網が発達した。
そして、今(2022年)だに、この産業革命のパラダイムを無意識に引きずり続けている。
機械のイメージを持って組織を見るので、まるで交換可能な歯車のような、部署・部門という機能を定義してそこに人をはめる。
成長について「腕をみがく」という比喩を使う。
機械のように精密に動く事を望み、効率的に人を配置する。
組織は(上司は)人をマネジメントする。
感じている人も多いだろうが、我々は機械ではない!人間だ!
という反発が抑えきれなくなっている。
産業革命以降、組織論のメインストリームだと思われてきたものは、懐古主義の古い、アンティークなものになりつつあるのだ。
ミレニアム世代と言われる30歳〜40歳の世代から、Z世代と言われる20歳以下の世代まで、つまり、ざっくり言って、今40歳前後より下の世代は全部、新たな枠組みで世界を見ている。
インターネットの発達により、より社会は個別化されたものになったのだ。
出る杭は打たれるとは思っていない(別の場所でやるから)
大衆受けよりも自分が何をしたいかが大事
というように、まるで産業革命前後のような隔世の感すらある。
余談だが
私は、個人と社会と組織についてこのような見立てを持っている。
個人が変わると社会が変わり、社会が変わると組織が変わる。というフレームだ。
そんな、個人が変わり、社会が変わりつつある今(ウィルス騒動は間違いなく、人類の進歩という側面もあるだろう)組織はどう変わるんだ?と興味深く観察している。
私は毎朝、森の中を散歩している。
森は豊かで多様性に溢れている。
写真はヤツデを写したもの。
どうしてヤツデは葉が裂けているのだろう?と思い、立ち止まって撮影したものだ。
私は植物学者ではないので推測なのだが、きっと裂けていたほうが都合が良いのだろうと思った。確かに、裂けたデザインは葉っぱ単体としては非効率だ。効率的に光合成を行うためには、広い葉で太陽の光をもれなく集める必要がある。
しかし、大きく裂け目の無い葉は、その下に影を作ってしまう。
下から出ている葉には良いデザインとは言えないのだ。
ヤツデの葉の裂け目の下には、同じくヤツデの葉が重なり合うように存在している事が観察できるだろう。
裂けている事は、その葉単体ではなく、ヤツデ全体、さらに言うと、その生態系全体を最適化するために洗練されたデザインなのではないか?と思った次第だ。
産業革命からの組織論は、拡大・成長を何より標榜している。
これからの時代の組織論は、自然界のデザインを模倣して再構築するのがド本命なのではないだろうか?
ウィルス問題を見ても、サプライチェーンの問題を見ても、人権問題を見ても、格差問題を見ても、部分最適・国家最適では何も解決しないのだ。
ヤツデの葉のように
自分のみを最適化するより、森全体で最適化した結果、個人にとっても最適な環境が創られていく。というパラダイムで世の中を見る必要があるのではないか?
そして、それは個人から始まる。
我々には無限の創造力と、アートな感性があるはずだ。
古来より内側に護っているその力を解放する時代に、我々はいるのだろう。