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SPACE・空間を空けておく勇気が全体性を回復させる

仕事のスケジュールが埋まっている
休みの日に遊ぶ予定が埋まっている
やりたいゲームなど没頭するものがある

SPACE・空間を埋めていく事はある種の精神安定剤のような効果があると信じられている。

確かに、人は感情を持った生き物なので他者との関係性の文脈でしか人生を語れないのだ。
○○さんと一緒に山崎蒸留所に蒸留所見学に行ったよ。その時にテイスティングした蒸留所限定酒、あれ飲みすぎて泥酔しちゃったんだよな〜。というように。
そして、それを物語として語るから、当事者以外にも伝えていく事ができる。泥酔しすぎて、帰りの電車の中でめんどくさかったんだよ〜。みたいな。


しかし、ともすると
間を埋めすぎていないだろうか?
というのが今日のテーマ

オンラインミーティングの発達などにより、分刻みのスケジューリングが可能となったが、何か重大なものを失っている気がしてならない。
肉体という物理的制限が無くなった事により、以前では考えられないような体験が可能となった。午前中に沖縄の人とミーティングをして、午後はアメリカ在住のアメリカ人とミーティング、夕方には北海道の人とミーティング。などというスケジューリングも成立する現在。

確かにミーティングは成立している。
オンラインだから深い思考ができないなんてことはない。

しかし、何か違和感があるのだ。

例えるならば、製造工場のライン作業のようで、進行してはいるのだが、創造的ではないような感覚。

人間らしくない

会議で不確実性の高い選択肢に魅了されるのが人間ではないか?
その稚拙さ、未熟さ、駄目さが人間の物語なのではないだろうか?

人間の言葉で物語る時、オンラインミーティングは賢すぎるのだ。
そして、賢く飾るようにUI もできている。


だからこそ、SPACE・空間を空けておく勇気が必要だ

スケジュールとスケジュールのあいだ
ミーティングの最中

どちらにも言える事だ

大事なことは、意図的にSPACE・空間を空けておく
無意識領域は間を埋める方向へ引っ張ろうとする
それを自ら引き止めるのだ

無意識領域が指向しているのは、恐れと不安からの逃避だろう

SPACE・空間を空けておく事は、そこに人間らしさを取り戻すためだ
普段から、スケジュールを詰め込みすぎない事
間を大切にする事

そう言えば
日本文化は間の文化だったな

間もスケジュールの一つなのだ

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