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社会が変わると「良い会社」の定義も変わるよね。という当たり前すぎて無意識になってしまっている話
私は昭和53年生まれです。私の母は昭和30年生まれ。
昭和30年、母の生まれた年は、トヨタクラウンが新発売されたり、ニッサンダットサン110が発売された年でした。大東亜戦争終戦から10年、戦後の回復特需による行き過ぎたインフレの反動もあり、経済は足踏み期に入っていた。
足踏み期とはいえ、産業の発明により暮らしはどんどん豊かになる。今(2021年)では考えられないような革命的製品が次々に世に出され、日本は高度経済成長に突入していく。
東京タワー・新幹線・大阪万博など…。「もはや戦後ではない」と言われた昭和30年代〜オイルショックが発生する昭和40年代後半まで。その光の裏側で深刻な公害も発生していく日本社会。
公害が軽視されがちなこの時代には、「一生懸命働く」という言葉が美徳とされていたように思う。「一生懸命働いた」のだから、公害も仕方なかったのだ。というような風潮だ。
昭和53年に生まれた私は事実、母や祖父母から「一生懸命働く」という事を耳にタコができるほど言い聞かされてきた。私の家は、当時繁盛店の美容院を経営しており、暮らしは豊かだった。その豊かさは「一生懸命働く」事によって支えられているものだ。という信念めいたものである。
「一生懸命働く」には、同種同業種の上を行け。というメッセージも込められていた。事実、小学生当時、クラスメイトと遊んでいた私は夕飯時、「あいつらより上にいかないとダメなんだ。」「あいつらをアゴで使ってやらないとどんどん貧乏になるぞ」とよく言われたものである。
私は友達を「ライバル」と見るのが嫌だった。
そのように私に言ってくる親を尊敬できなかった。
私は充分豊かになった昭和53年に生まれているのだ。昭和53年の貧乏と昭和30年の貧乏では天と地ほどの差がある。よって、昭和53年に昔の話を例に出して話をされても全く実感がわかないのだ。
同様に、昭和50年代に生まれた我々と、平成10年代に生まれた世代の間には超えられないほどの壁がある。
昭和50年代生まれはファミコン世代で、TVの裏の端子を結線して遊んだものだ。接触が悪くて叩いて直すという有様。
平成10年はプレイステーション2以降の世代だ。カセットに息を吹きかける動作なんて知らなくて当然。
全く違う星からやってきた。と考えたほうが自然だろう。
そんな昭和30年代・昭和50年代・平成10年代が混在する今の社会。
「良い会社」の定義が世代によって変わるのは当然なのではないか?というのが私からの提言。
何が「良い会社」なのかは各自が考えれば良い事。昭和30年代や平成10年代はこうだろう!と私が定義するのはちょっと違うな〜って思います。
とはいえ、それだと具体がまったくない話になってしまうので、私が思う「良い会社」を書きましょう。
【良い会社が持っている特徴】
・機械的ではなく生命的なネットワーク
・工業製品ではなくアートのようだと形容されるプロダクト
・個人が先、組織は後から変形する
・存在の力>感情>知識
・率先垂範しない
・ノウハウを追いかけない
・規模をモノサシにしない
・Big ideaを探求し続ける
このように列挙してみました。鍵はアートですね。
芸術というのはとても興味深いものです。人々を内側から強烈にドライブします。歌わずにはいられない!踊らずにはいられない!というように。
その内側から人々をドライブするものに迫っていこうじゃないか!会社という器を使って。
知識から入るとアートからは遠ざかる。
規模を考えるとアートからは遠ざかる。
機械的(仕組み)なものはアートから遠ざかる。
アートは集団ではなく、たった1人の心の内側から湧き起こる。
率先垂範は無意識に選択肢を制限するのでアートから遠ざかる。
この世にまだ存在しないBig ideaを探し続けよう
人口減少・未知なるウィルス・供給過多。な時代を閉塞感ある時代、と形容する人も多いですが、私はまったくそうは思いません。アートに生きて、まだ存在しないBig ideaを探し続ける事。これって、高度経済成長がカタチを変えて再度到来するようなものです。(オカネ的な意味の高度経済成長ではありません笑)まだ未開のフロンティアが目の前に広がっているという意味です。
私は非常にワクワクしています。