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配役としての台詞じゃない、君たち自身の正義を見せて

この記事でやろうとしていること

PSYCHO-PASSを視聴した時にいつも現れる「名前のない違和感」とちゃんと向き合って、今度こそPSYCHO-PASSを純粋に楽しみたい。そして、叶うのならみんなと感想を言い合って、自分では気づかなかった作品の楽しさを味わいたい。そんな願いを込めてこの記事を書き始めた。

ちなみにこの記事を書いている時が、実はPSYCHO-PASSという物語を一番楽しんでいる。
みんな大好き(?)マキシマムはいったい何がしたかったのか? 狡嚙さんの二面性はどのようにして生まれたのか? なぜ朱ちゃんはシビュラシステムに見いだされる資質を持っているのか?
もしも槙島と朱ちゃんが古い友人だったとしたら。同じ施設の出身だとしたら。
もしも狡嚙さんがシビュラシステムに深い憎悪を抱いているとしたら。
もしも朱ちゃんが狡嚙さんだけではなく槙島をも救おうとしていたとしたら。

いったい、彼らはどんな「正義」をもってシビュラシステムに立ち向かうのだろう。
そして彼らの願いはどんな形で実現するのだろう。

放送当時は「この作品で問いかけられた正義って結局なんだったんだろう」と気になって、結局それが分からなかった。
でも自分にとって、たぶんそんなことよりもっと個人的な――そこに生きる人が何を感じて、どう行動するのかが見たかったんじゃないか? と思い始めている。
だから今回は、自分はPSYCHO-PASSという物語に何を期待するのかを明らかにしたうえで、ぼくのかんがえたかんぺきできゅうきょくの「こんなPSYCHO-PASSが見てみたい」を語るスタイルでいこうと思う。

……お気づきの人がいるかもしれない。このスタイルの感想記事どっかで見たことあるぞ、と。
二番煎じとか劣化コピーとか言ってはいけません。人の痛みが分かる子になってください(自戒)。

結局のところ、みんな何がしたかったの?

初めてPSYCHO-PASS1を視聴した時の率直な感想はこれだった。
友人たちやいんたあねっとでみんながPSYCHO-PASSを楽しんでいる脇で、ずっと頭を捻っていた。彼らの感想を聞いても、残念ながら納得のいく答えは得られなかった。
それがずっとモヤモヤしたまま残っていて、先日providenceを観賞するまで消えることはなかった。

正確には、providenceを観て、分からないところの前提知識を埋めるためにジョン・ロールズの『正義論』を読んで、それらの感想をとある友人に語って初めて、PSYCHO-PASSという作品に深く納得がいった。
これまで全く感情移入できなかった主要3キャラクターに今ではものすごく親近感を感じている。気付けば感想の部分だけで5000字、記事全体を通すと7500字を突破して、好きなことを長駄文テキストにして叩きつける系の10年前のオタク気質が復活しつつあるほどだ。

どうやら10年目にしてようやく、私はPSYCHO-PASSのキャラクターが何を願い、戦っているのかを「妄想」できるようになったらしい。

槙島聖護の場合:君の魂の輝きを見せておくれ。

「僕は、人の魂の輝きが見たい。それが本当に尊いものだと確かめたい」
「だが、己の意思を問うこともせず、ただシビュラの神託のままに生きる人間たちに、はたして、価値はあるんだろうか?」

この問いはよく覚えている。
いち視聴者でしかない自分が猛烈に非難されているようで、次の日は寝込んでしまった。
(決してリアルタイム視聴のために夜更かしをして寝坊したとか、そういうんじゃありません。違うんです信じてください先生)

今になって思えば、槙島が一番あの世界で人間に期待していたんだと。
シビュラシステムの奴隷になってしまった人間が、それでもまだ『完璧な人間』になれる――人はなりたい自分になれると本気で信じている――そんな彼が、いったいどうやって人びとを目覚めさせていくのか、悪役(ヴィラン)であるはずの槙島にどこか期待を寄せていたように思う。

そして彼は、シビュラシステムの奴隷を開放するためにハイパーオーツを死滅させて餓死させようとした。なぜ!?

ちょいちょいちょい。包括的生涯福祉支援システムと見せかけた搾取の構造を破壊するんじゃなかったのか!? 搾取する対象がいなければピラミッドの頂点も崩壊するって寸法か!?
そうまでして狡嚙さんと遊びたかったのかよ……。これまで散々、他人の執着心を煽って殺してきたってのに。
どうしてこうなってしまったんだ……。

……いや。きっと、わたしには計り知れない理由があるに違いない。
例えば、そう――実は朱ちゃんと同郷の出身で、そこでは免罪体質者の研究がされていたのだとしたら。

そういう環境で育ったとしたら、きっと息苦しかっただろう。
様々な人と触れ合う一方、深く関わることはできない――他者に統制された人間を見て、つまらないと思うかもしれない。
そんな中で幼い頃の朱ちゃんと出会って。外の世界からやってきたばかりのまだ純粋な人と話してみて。

この白い鉄格子の外に出れば色彩に満ちた世界に行けると、そう信じて外に出た果てに、シビュラシステムによって統制された無色の楽園が待っていた。
そして槙島は知る。自分が生み出された理由を。置いてきてしまった極彩色の天使がいずれ、神の供物として捧げられてしまうことも。

それは我慢ならないはずだ。
人の色彩を歪めたシビュラシステムのことを許せないだろうし、そこで搾取されていることに気付かない人を憐れむだろうし、何より――朱ちゃんのためにこの社会を破壊しようとするだろう。
そんな中、シビュラシステムに人生を歪められながら色彩を失わず、混ざり合って黒く染まっていきながらも輝きを保とうとする存在は、他の何よりも尊いものに映るだろう。

かくして槙島聖護は、極彩色の天使を守るため神託の敵として君臨し、神に見放されてなお人に寄り添おうとする堕天使の手で討たれることを本望とする――愛ゆえに相容れない黒幕、人類に自己統制を促す先導者として、二人の前に立ちはだかる。

そんな彼の魂の輝きは、本当に尊いものに違いないとわたしは思う。

狡嚙慎也の場合:その憎しみの果てに正義はあるのか

「今ここで諦めても、いずれ俺は槙島聖護を見逃した自分を許せなくなる。そんなのはまっぴらだ」

狡嚙慎也は法の下の正義を据えて、槙島聖護に私刑を下した。
それで守られた人は誰もいない。

誰かを思うあまり監視官から執行官(潜在犯)になり、それでも刑事としての矜持と技能を磨き続けて規範を守ろうとする好漢。
多少の私怨が混じることもあるが、役割ではなく行動で果たすべき責務を果たし続けて国を守ってきたその背中は、サラリーマンになって数年経つ今でこそ偉大なものに映る。

そんな彼の結末がこんなのってあんまりだ。私情に流されて周りの全ての蔑ろにした、槙島聖護と同じ駄々っ子に成り下がってしまうなんて。

本当にこの結末しかなかったのか?
"正義"を貫くため、もっと他にできることはあるんじゃないのか?

狡嚙慎也の執念には憎しみが足りない。善き青年が復讐者(アヴェンジャー)となるには因果があまりに不足している。
彼が奈落の底にある秘宝へ至るためにはもっと昏く深い激情――シビュラシステムに対する憎悪があるはずだ。

狡嚙慎也は幼い頃、大切な友人を亡くしている。
母子家庭に生まれた彼は最大多数の最大幸福を約束された社会においても――なぜか嘲笑の対象になった。ただ父親が不在というだけで周囲からは奇異な目を向けられ、それが善意であれ悪意であれ自分が異物なのだと子どもに思い知らせるには十分だった。
そんな中、唯一彼と対等に接する少年がいた。そいつは粗暴でよく人と些細な言い合いから衝突し時には手をあげてしまうほどだ。色相も当然芳しいといえないが、人の尊厳を侮辱することだけはしないやつだった。

初めはおちょくられるところから接点が生まれ、やがて友人と呼べる間柄となり、少年たちは夢を語る。
「人を馬鹿にするやつらが許されてやられた方は守ってくれない、こんな世の中は変えてやろう。俺たちの手で」
程なくして友人はいなくなった。矯正施設送りになったからだ。規範に疑問を抱いた者はすべからく排除される――当時の狡嚙慎也は知るはずもない、シビュラシステムの鉄の掟だ。

そうして狡嚙慎也は監視官になった。
誰かの不幸を前提とせず善き社会を作っていく正義<公正としての正義>を信じ、その実現のためにはかつての自分や友人を守ってくれなかったシビュラシステムを利用することも辞さない。
正義の執行に貪欲な彼はあらゆるものから学びを得ようとし――犯罪係数を曇らせてしまうほどの学問と技能体系を身に着け、かつて刑事だった執行官から矜持を受け継ぐ。シビュラシステムの功利に疑いを持たない同僚とは時に馬が合わないけれど、目指す場所は同じだからこそ深い繋がりが生まれる。彼を中心に刑事課一係は洗練されて一つのチームとなっていく。

そんな折、一係に新たな執行官――この社会からいないものとして排斥されたかつての盟友、笹山がやってくる。
再開した彼らはともに、正義を貫くため全力を尽くしてきたことを喜び、これからも社会の平穏を守っていこうと誓いを新たにする。

だがそれは未解決事件を追っていく際、笹山の殉職という形で唐突に終わってしまう。

「君たちはこの社会に、何を見る。システムの下僕となり、与えられた平和という名の嘘に搾取され続けることに、何を思う。そこに君はいるのか?」

一連の事件の首魁とみられる、マキシマという人物が投げかけた問い。
執行官になってまで"正義"を貫いてきた笹山の生涯は最期にその生き様を全否定されて幕を下す。
最も真相に近づいた者が消えたことで、調査は迷宮入りとなり打ち切られる。

狡嚙慎也は気付いてしまった。シビュラシステムは守るに値する規範ではないと。規範に盲目的だったからこそ、友を救えなかったのだと。
疑念と自責は交じり合って憎悪となり、守護たりえないシビュラシステムと友を奪ったマキシマへの復讐を誓う。

執行官になってからもずっとマキシマを追い続け、その途中に新米監視官と出会う。
彼女はどうしてか昔の自分と重なった。それゆえに危ういとも思った。
だが多少の私情がありながら、それでも正義を示し続ける彼女の在り方。それは自分には出来なかったことで、だからこそ本当の意味での善き社会に辿り着けるかもしれないと期待を寄せる。

そうして狡嚙慎也は、奈落の底から神を憎悪しながら、その神が最良の僕とする人物がもし天国から堕とされそうになったら絶対に助ける堕天使になった。
この道のりは険しく、常に自身に渦巻く激情と自身が準じてきた正義との間で揺れ動く。常守監視官と未解決事件を追う最中、シビュラシステムが旧来の功利主義に基づく支配機構であること、槙島聖護はこの間違いを正そうとしていること、実は笹山こそが未解決事件の裏に潜む真実――シビュラシステムにとって都合の悪い事実を隠すために隠蔽工作していた裏切者だったことを知る。

彼は思い悩む。この憎しみの果てに正義はあるのか。
それでも、きっと狡嚙慎也は歩みをとめない。落ちていくと分かっていても、それでも光を追い求める。

その旅路の果て――恩讐の彼方にはどんな未来があるのだろう。

常森朱の場合:シビュラシステムじゃなくて、わたしを見て

「法が人を守るんじゃない。人が法を守るんです」

PSYCHO-PASSという物語を通して最も鮮烈に刻まれたメッセージは、私はこれだと思う。
すべての人がより幸福に生きられるように。そんな社会をみんなで形成していけるように。人々の願いを体現していくために求められるこの規範意識は現代社会においても重大な意味を持つ。

……という感想は、PSYCHO-PASS10周年になってようやく得られた。
年齢を重ねてから見返すと物語の捉え方が変わるとはどこかで聞き覚えがあったけれど、それをPSYCHO-PASSで実感できたことはきっと良かった。
でもどうして、10年間ずっと印象に残るほどの台詞なのに、視聴後にはその意味が分からなかったんだろう。
自分は10年もかかったのに、なぜ朱ちゃんは1年足らずでこの答えに至ったのだろう。そこまで社会を、人を信じることができるのはどうしてだろう。
もしも作中で語られなかった場面で規範意識を学ぶ機会があったのだとしたら。それを実現するために行動することこそ、彼女自身の望みを叶えるために必要だと実感したのだとしら。
常守監視官の人生観は公安局に入局する前から、そして入局してからの経験によって形成されたに違いない。

常守朱はシビュラシステムの職業判定で全省庁からオールA判定をもらい、神託の世界において選択肢を与えられるという類まれな幸運を手にした。
その中から彼女は厚生労働省を選択する。家族や友人からは「厚生省にA判定が出たのは朱だけだもんね」ともてはやされたけれど、もっと単純な理由からだった。

そして公安局刑事課の配属当日、いきなり事件が発生する。
生真面目で厳しそうな先輩、彼が「同じ人間と思うな」という執行官。新人なのに自らより遥かに現場慣れしている部下を持つ。そして犯人を追う。
その途中、ある執行官が言う。「この事件は裏で糸を引いているやつが必ずいる。マキシマだ」
自分より年上の、落ち着きと行動力の同居した頼もしそうな男性が――突如として殺気立ちながら。その様子に周りは呆れている。先輩の監視官どころか執行官まで。
本人なりの確信を得た猟犬――狡嚙慎也は走り出す。それを慌てて追う年配の執行官と、追うように指示を出す監視官。
常守朱はただ状況に追われて彼らを追う。狡嚙を追いかける中、彼がかつて事件捜査中に同僚を失い、それにマキシマという人物が関わっていたことを聞く。
狡嚙はずっと、誰もが存在を信じようとしないその人物が実在すると信じて独自調査を続けていたんだと。
それは彼女が厚生省に入省した理由と、どことなく似ていた。
ややあって狡嚙に追いつくと、彼は「もしマキシマが関与するとしたら、何を意図し、どうのように罠を仕掛けるか。犯罪者はどのように考え行動するのか」という仮説から容疑者の行動を予測してみせ、ついに追い詰める。
容疑者を確保し事件が収束したあと、彼女は尋ねた。「狡嚙さんが探している人、もしかして槙島聖護という男性ですか」

幼い頃からメンタル強者と判定された常森朱は未来の支配者としての恩寵を十二分に受けていた。その一環として高度教育カリキュラム――その実態は免罪体質者の研究プロジェクトに参加していて、そこで不思議な青年と出会う。それは当時の彼女にとって心地よい時間だった。だから、いつでも会えるわけではないお兄さんとは、別れ際に必ず「また会おう」と約束した。
しかしある日突然、そのお兄さんは姿を消した。

常守朱は、かつて慕っていた青年と再び会うために監視官になった。
公安局に入れば様々な事件の情報が得られる。未解決事件のことも手掛かりがあるかもしれない。
シビュラシステムの恩寵を社会ではなく個人の目的にしたことに、先輩や同僚は失笑した。特に幼い頃から色相判定で烙印を押された執行官からは明確な敵意を向けられた。
それでも、彼が理由もなく消えたことには納得がいかない、きっと何か理由があるはずだと信じて、その真実に辿り着けるのは自分しかいないと感じたからこそ、この道を選んだ。

だから、常守監視官は狡嚙執行官と契約を交わす。ともに槙島聖護を追うと。
その道は、シビュラシステムの正体を暴くに至り、槙島聖護の目的はその暴政を破壊して新世界を創ることだと知り、その道には誰もついていけないことも知る。
彼女は苦しむ。
槙島の目指す社会が理想的であることは理解できるが、暴力に基づく彼のやり方はシビュラシステムと何も違わない。
狡嚙の裏切られた悲しみに共感するが、それを晴らすために道を外れることはしてほしくない。
シビュラシステムが権威主義となんら変わらない独裁者であることに激しく嫌悪するが、それで多くの人が守られている事実は変わらない。
彼女の望むものは、決してすべてを同時に得ることはできない。
でも、だからこそ、もう一度みんなが信じられる規範を作り上げ全員で守っていく必要があると確信を得る。
法の下にすべての人は平等であり、そこには色相による区別はない。その社会ではかつて慕ったお兄さんも、尊敬するお兄さんも生きていくことができる。

槙島の求める社会と、狡嚙の信じる正義は対立するものではない。むしろそれらを一つにして、すべての人の願いと善き行いが限りなく一致する道をみんなで進んでいくことこそ、本当の意味でシビュラシステムを打ち倒すことになる。これは二人から学んだ常守朱だからこそ導き出せる答えだ。
その姿は神からその役割を継承し、人びとの願いを束ねて共に歩む極彩色の天使に見える。

この物語の結末――槙島聖護と狡嚙慎也が対峙するその瞬間、きっと彼女はこう言うだろう。
「シビュラシステムじゃなくて、わたしを見て」

おわりに:もっと善と正義について語ってくれ

私が「名前のない違和感」と言っていたものの正体は、私の「好き! これ見て!」を全力で語る準備だった。
PSYCHO-PASSは正義について語っているようで、実は正義のことはほとんど触れていない。作中では、善(個人の選択する思想・行動となる基準)を表現する文脈として正義と呼称されることが多いように思う。
それならもっと、各キャラクターがそれぞれ抱いている善について全力で語ってほしい。キャラクターの過去によって現在があり、そして未来へ進むためにどんな道を行くのかをもっと掘り下げてほしい。
さらに打ち倒すべき魔王として「最大多数の最大幸福」が登場するのだから、それを克服しようとする<公正としての正義>についても触れてほしい。
善と正義<公正としての正義>が一致せず苦しむ様を、そしてそれを乗り越えた先にある大円団を見せてほしい。

この感想記事では、可能な限りこれらの妄想をすべてさらけ出した。
もしかすると(いやしなくとも)解釈不一致で、製作陣や純粋に作品を楽しんできた人々とは作品の捉え方がズレているころだろう。

かつてはそのズレに悩んで、感想を述べることができなくなり、次第に様々な作品から離れていった。
でも今は、ちょっとドン引きされようとも、自分の好きを今出せる全力で表現してみようと思えるようになった。
それだけ、この感想記事を書くのは大変だったし、楽しかったから。

もしもPSYCHO-PASS4が製作されるのなら。
今度こそ全力で感想を言い合いたい。願わくば、キャラの願いと正義を一致させるために足掻く姿が見れますように。

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