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鑑賞録 #1 「キングスマン:ザ・シークレットサービス」
好みとの合致度:60%
- 美術:4/5
- 音楽:3/5
- キャスト:2/5
- ストーリー:3/5
- ノリ:3/5
冒頭、イケてるラジカセのドアップから始まる。
おいおいなんてシャレた演出だよさすがだなァなんて思っていたが、そのラジカセ、SHARP製のものだった。
映像ではIDになるような部分が削られていて確認できないが、おそらく「THE SEARCHER」のシルバー、型番でいうとGF303-STだろうと思われる。
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1978年に発売されてから36年後に「キングスマン(2014年)」の幕を切って落とし、46年後の2024年現在もフリマサイト等で取引されていて根強い人気が伺える。
製品の表側のどこにも日本語が使われていない感じ、超シャレてるな〜〜〜
おしゃれな家電に「電源」とか「温度」とか「再生」とか「早送り」とか書いてあると冷めちゃうあの感じってなんなんだろう。
テレビのリモコンなんて日本語だらけだしボタンも多いしマジで冷める。
うちにあるFire TV Stickなんてボタンたったの11個。
(最近はなんか増えちゃってるけど)
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サイバーパンク的な世界観で見る日本語は冷めないのに、現実で見ると「説明されてる感」があって嫌なのか、シャレてるものは西洋から来てるという根深い偏見なのか。
話を映画に戻そう。
開始早々ヘリからの攻撃でラジカセのそばにいた2名があっさり死に、続けてヘリからミサイルのようなものが放たれ、正面の建物を破壊する。
攻撃によって建物が崩れ瓦礫が落ちてきたのかと思いきやCG合成された文字で、それらが転がりながらクレジットタイトルを形成し、視点の後ろ側へ流れていく。
この2つの演出で概ねのノリが表現されているように思った。
BGMも手伝ってか冒頭の2人の死ぬ描写がコミカルで、そこにシリアスさがない。今後もこの軽さで人が死んでいくんだろうなという免疫ができ、転がり落ちてきたクレジットタイトルのおかげで世界観にアニメやゲームのような要素が加わり、いい意味での作り物感というか、ファンタジー感がここで提示される。
ちなみに冒頭のクレジットタイトルが転がり落ちてくるシーン、WANTEDという映画でうざい同僚をキーボードで殴り、その衝撃で外れたキートップと同僚の歯で文字列が作られるシーンを思い出した。
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こういう演出は大変好みである。
"恵まれない子"のエグジーと"弱い女"の母親
キングスマンに所属していた父親が殉職し、貧しい家庭で育ったエグジー。
親しい友人はいるが家庭にはいかにも暴力的でいかにも反社っぽい男(母親の再婚相手?)が居座り、パシリにされたりそいつの仲間に絡まれたりと散々。キングスマンの採用試験でも高慢なボンボンたちに絡まれて散々。
ゴシップガールでいうチャック、バック・トゥ・ザ・フューチャーでいうビフ、ハリー・ポッターでいうマルフォイみたいな「執拗にいじめてくる嫌なやつ」の俳優さんってみんな演技が上手いね。すごく嫌なやつに見える。
しかしそれより散々なのはエグジーの"母親の弱さ"だ。
キングスマンからの援助を突っぱねておいてエグジーをしっかりヤングケアラーみたいにしてるのマジでやばいなって思っちゃう。
「援助なんかいらないから夫を返してよ」とかいって感情的になってる暇があったら夫なき家庭を守れるのは自分しかいないということを早々に自覚して貪欲に支援を受け入れるべきだったよ。
キングスマンが夫を拉致して合意もないまま死地に送って鉄砲玉にしたのだとしても慰謝料や賠償金だと思って搾り取れるだけ搾り取ればいいし、実際はそうではなく(詳細を聞かせてもらえないにせよ)本人が望んだ環境で本人の意思で人を守って死んだのだから、ただただ嘆く以外の思考があっていいと思う。
それなのに差し伸べられた手を拒み、クズみたいな男に引っかかって、そいつに息子が虐げられてるのにろくに庇いもしない。
大黒柱が死んだあと援助も何もなく貧困に陥ってクズに身売りしなきゃいけなくなった、とかじゃないのに息子に苦労させるわクズとの間に子供作るわ、ほんとにやばい。あんなクズ男、そのうち娘に対して性的虐待とかしはじめるよ。
エグジーは文武両道で能力も高く優しさも持ち合わせているのに、母親は一時の感情で援助を断って資金確保もせず、クズを家庭に入れ、海兵隊に入ったエグジーを否定して辞めさせ、クズとの子供をつくり、エグジーをヤングケアラーにし、無料SIMのために丸一日列に並んで過ごすような人として描かれている。
それでもエグジーは母親に対して恨み言の一つも言わず、恨んでもおらず、妹を大切にし、母親がクズに殴られたのを知って激怒するような子に育った。奇跡である。
母親が弱く愚かに描かれているのはエグジーが「恵まれない子」の位置から成り上がる物語にするためだろうけど、同情の余地のない「ダメな母親」にするのではなく、もう少し強かで賢い女性にしてくれたらよかったのに。
常におしゃれなヴィラン「リッチモンド・ヴァレンタイン」
本作のヴィランの親玉として出てくるのはサミュエル・L・ジャクソン演じる資産家のリッチモンド・ヴァレンタイン。
登場するたびにお色直ししており、常にシャレている。
キングスマンはシャレる機会があれば逃さずシャレているが、ヴァレンタインは一分の隙もなく24/365でシャレている。一瞬の回想シーンでさえお色直ししているので途中から笑えてくるほどだ。
しかし、全ての衣装が肩肘張らず自然体なおしゃれである。
スタイリングした方のセンスもあるが、サミュエル・L・ジャクソンの佇まいがなせるわざでもあるだろう。
ところがキングスマンの衣装について検索すると9割方スーツについての記事で、誰もヴァレンタインの着こなしについてコメントしていないのだ。切ない。
さて、彼をヴィランたらしめているのは偏った正義感と強烈な選民思想だが、個人的には結構シンパシーを感じたりする。
「気候変動の調査、ロビイング、長年の研究、何十億ドルもかけたそれらをやめた理由がわかる?最後に確認した時、地球は相変わらずめちゃくちゃだったから。そして私は悟った。金では解決にならない。自称政治家の愚か者たちは現実に向き合わず再選されるためだけに出馬している」
「ウイルスが侵入したら身体は熱を出してウイルスを殺す。地球も同じ。地球にとって人間はウイルス。地球は温暖化して人間を殺そうとしている。ウイルスが死ぬか宿主が死ぬか、二つに一つだ」
納得〜〜〜〜〜!!!!納得したくなっちゃう〜〜〜〜〜!!!!!
私があの世界にいたら真実を知らぬままSIMを持たされ、暴動に巻き込まれ、大切な人を傷つけたり傷つけられたりして哀れな最期を遂げるグループに振り分けられるだろうが、それでも彼の思想のすべてを否定しようとは思わない。
ヴァレンタインがどんなプロセスを経てあの思考に落ち着いたのかは分からないが、自らの富と権力をフル活用し"愚かな"人間を減らすことを企て、自分に有益な者のみを選別して生かすというゴッド・コンプレックスな思想だ。
「地球を救いたい」「人類が地球の害悪だ」と言っておきながら、自分と自分が選んだ人類は殺さない。繁殖可能な人類が複数ペア生き残るのだから、仮に彼の計画が完遂されたところで一時的に人間の影響が弱まるだけで、長い時間をかけてまた同じ状況に戻るだろう。
彼は「地球を救う」という大義名分を掲げているが、その本性を突き詰めれば「自分が不快に思うものを見たくない」という行き過ぎた潔癖症である。
人間を害悪と断じるのなら自分を含めた人間すべてを根絶しなければならないが、「地球がかわいそう」という布にくるんだ「私が不快に思ってる」が根源で、本当に地球のために動いているわけではない。
自分が生きている間だけ理想の世界であればいいのだ。
というわけで全面的に支持はしないが、全面的ではない理由は「私なりの選民ライン」があるに過ぎないと感じる。
途中で私が嫌いなタイプのキリスト教とその狂信者たちが出てくるが、びっくりするほど醜悪に描かれているおかげでそいつらが虐殺されることになんの憐れみも湧かない。
エグジーママの再婚相手やその仲間、meanなキングスマン候補生、欲にまみれた政治家たちが悲惨な死に方をしても何とも思わないばかりかむしろそれを喜ばしく思う。
しかしヴァレンタインが犠牲にする範囲に善良な一般市民や子どもたちを含めたことにはとても反感を覚えるし、だから全面的には支持しないといえるが、しかしそれは付随的損害(コラテラル・ダメージ)という観点においてヴァレンタインの許容範囲と私の許容範囲が違うというだけの話だ。
その許容範囲を明確にせざるを得なくなった時、「罪悪感を覚えない範囲」なら別に死んでもいいかと思ってしまうのは私も同じなのだろう。
私は大して根性もない普通の庶民なので、過激な思想が芽生えたとしても頭の中に巣食わせるだけで一生を終えるが、頭の中から取り出して具現化できてしまうだけの力を持ち合わせてしまったのがヴァレンタインだ。
ヴァレンタインと普通の庶民の間にはとてつもない差があるように見えて実はほとんどない。
そんな感じで、私程度が近づけるほどにヴァレンタインの思想は幼稚で独善的であるが、キャスティングがバチっとハマっているおかげで肩の力が抜けていてすごくかっこいい。ヴィランとして十分に魅力的である。
細かいことを気にしてはいけない
キングスマンはスパイ映画ではない。
スパイ組織のあれこれをベースにしたアクションコメディ映画である。
国家機密のはずの組織がゴリゴリにアイコンを刻印した自己主張の激しいオリジナルスパイグッズを使っているし、途中で落第した候補生の記憶を消さないまま解放して娑婆に戻しているし、仲間同士助け合うことが重要と説いておきながらペアにさせた犬を殺す試験があるし、やっぱり人命はめちゃくちゃ軽んじられている。
犬を殺させる試験があるのは"Limits must be tested. A Kingsman only condones the risking of a life to save another."(日本語字幕:人を救うためには犠牲を出す覚悟が必要)だからとハリーから説明されているが、試験ではただ拳銃を手渡されて"Shoot the dog."と命じられているだけ。
犬を殺さないと大切な人が死ぬようなシチュエーションに追い込まれるわけではないので、あの場で犬を撃ち殺すことは「救うための犠牲」ではなく「合格するための犠牲」でしかない。
むしろ「救うための犠牲」ならば犬を守るために試験官を撃った方がより適しているのではないか。
せっかく試験の最初で「死体袋に自分と一番大切な人の名前を書く」という行程があるのだから「犬か一番大切な人、片方を殺さなければ片方が死ぬ」という伏線回収にしてもよかったと思う。
が、チャーリーあたりは平気で犬を撃ち殺しそうなので、「救うための犠牲」を決断できるかどうかのテストなら自分の命と何かを天秤にかけさせるのがいいのかもしれない。
そういう細かい点や矛盾を気にしてしまうとこの映画は楽しめないので、コメディという前提で観るのが一番だ。