読書感想文 #8:滅法矢鱈と弱気にキス/腰乃
好みとの合致度:60%
- 絵柄:2/5
- ストーリー:4/5
- キャラ:3/5
- ノリ:3/5
2024年1月時点で2巻まで発売されており、本稿ではその範囲に言及する。
上部に公式のあらすじを引用しているが、内容が不正確であまり参考にならない。ワードを拾っているだけで筋が掴めていないので、書いた人はちゃんと作品を読んでいないと思う。
予備知識:オメガバースとは
設定が細かく練られた割とリアルな内容なのに、ドナルド・ダックのアニメ並みに生物のしくみや物理法則を無視した描写が散見され、いい意味でカオスな作品になっている。
BL界ではかなり有名な作家さんらしく、独特の表現もまた魅力なようだ。
横須賀くんと静香
変転アルファで元ベータの横須賀くん
主人公の横須賀 恋次はベータだったが、16歳で急にアルファになった。
急に性別が変わるなんて私には全く想像もつかないが、本人にはどんな変化があるのだろう。
私の身体が急に男になったら……骨格が変わって今ある服が着られなくなり、筋力が上がって職業選択の幅が広がり、狭まりもする。
味覚が変わったり、体臭や性欲にも影響があるのだろうか。
恋愛対象は男性だからゲイということになる?
今の仕事は性別は関係ないし、友人や家族が戸惑うくらい?
まあ慣れてもらうしかないしすぐ慣れるでしょ、とか思っちゃうんだけど。
楽観的すぎか。
でもさすがに恋人は厳しい気がする。
自分のパートナーの性別が変化したとして、「夫」だったらまあなんだかんだで受け入れる気がするんだけど、「彼氏」が女の身体になったら恋人関係を続けられるだろうか。
横須賀くんの場合は男のままでより上位種になったみたいなことだから、男女間ほどの変化ではなさそう。
だけどベータだった横須賀くんは漠然とベータの女の子と恋愛するもんだと思っていて、それが急にアルファに変転したことで身の振り方が変わってしまった。
「ラット」の危険性を孕むアルファとして、身につけなければならない知識や課せられる義務が増え、やたらオメガとの付き合いを推奨されるようにもなる。
私が男になったからって急に周りから女性との縁談を持ってこられるみたいなことか?あれ?すげーきついな。
案の定、区が主催するお見合いパーティーへを勧められて参加する流れになるのだけど、これはさすがに強引だと思った。
性別どうこう以前に横須賀くん16歳の高校生だし。
(2巻で「勧められたからって高校生は普通行かない」的なことが判明する。にしても区役所側すんなり受け入れてるけど)
その会場で本作のお相手である源 静香と出会うことになるが、すでに社会人の年齢である静香が横須賀くんに対し(全然エロさはないものの)しれっと未成年淫行にあたるような行為に及んでいて驚いた。
もちろん横須賀くんはめちゃくちゃ拒絶するが、それに対して静香は「ずっと待ってたのに!」「理不尽だ!」みたいな反応を見せる。
頭おかしいんか。
可愛い女の子と付き合えたらいいな〜くらいに思っていた男子高校生が急に「あんた性別変わったよ」と告げられ、その動揺もおさまらないうちに年上の男からグイグイに迫ってこられたら受け入れられないのは当然だと思う。
16歳の頃の私が急に「あなたの性別、今日から男ね」と言われ、お見合いパーティ常連でがっつり社会人の女性から「相性92%!ずっと待ってた!」とグイグイ迫られ、断りもなしに身体中ベタベタ触られたりキスされたりしたらドン引きどころの騒ぎではない。
事と次第によっては訴訟に発展してもおかしくない案件だ。
それが区が主催している会場で起こったというのに、特に問題視されている様子もない。
ギャグ展開といえばギャグ展開なのだけど、真面目な描写も多いので読み方のスタンスにちょっと困る。
パートナー探しに必死のオメガ、静香
横須賀くんとめちゃくちゃ相性がいいと診断されたオメガの静香。
年齢不明。
長年相性のいいアルファが見つからずお見合いも皆勤賞なのに常に空振り。
ずっと待ち望んで待ち望んでやっと相性のいい相手が現れたと思ったらなんと変転アルファのDKだったという不憫な人。
作中「行き遅れオメガ」と形容されていて諸々拗らせている模様だが、にしても序盤の静香は強引で独りよがりなところが目立つ。
悪いやつじゃないというのは読んでいくと分かってくるし普通に好きになれるけど、初めの頃の静香の振る舞いは良識のある大人とは到底思えない。
中盤以降の静香は(依然拗らせ気味ではあるものの)理性的で健気なキャラなので、序盤だけ異様におかしいなと思う。
あるいは女性でいうところのPMSのようなものがオメガにもあって、メンタルが不安定になったりするのだろうか。
横須賀くんと静香
初めの方はとにかく静香が強引で、横須賀くんに対して十分な情報が与えられないままどんどん場面が展開していく。
これ連載で読んでた人って話についていけてたのかな?と思ったりした。
横須賀くんは静香との温度差に反発(当たり前だ)してずっと怒っているし、少々デリカシーのないところもあるし、16歳なりの子供っぽさもある。
しかしオメガ性の人たちと関わるうち、彼らをとりまく人々の無理解な言動を目の当たりにして腹立たしさをおぼえ、自分も同じだったと反省する超いい子。
専門書を読み、当事者や担当医と会話し、知識と経験を増やしながらきちんとオメガ性と向き合おうとする姿勢が見え、自分のアルファ性を徐々に受け入れながら伴う責任なども積極的に学ぼうとしている。本当に偉い。
問題は静香。
当事者であるにもかかわらず第二性を客観視できていて、知識もあり、仕事ぶりからも思いやりが窺えるのに、待望のアルファ(横須賀)に対してがっつきすぎてしっかり顰蹙を買うという不器用さ。
読者は横須賀くんが知らない健気な一面を見ているのでどうしても静香の肩を持ちたくなってしまうが、冷静に考えたら静香が暴走しすぎているし色々アウト。
それでもやっぱり静香が一生懸命で不憫で可愛くて、横須賀くん、早く静香を受け入れてくれないかな、静香を幸せにしてやってくれないかな、みたいな気持ちで見守ってしまう。
静香には早く報われてほしい。
苦労するアルファとオメガ、傍観者のベータ
アルファは希少種、オメガは超希少種で、ベータからすれば「見たこともない」という扱いなことも多いのだが、
本書冒頭にあるオメガバースの割合図で見ると、アルファ25%、ベータ58%、オメガ17%程度だと思われる。
単純に考えると100人中25人がアルファ、17人がオメガということになり、
1クラス程度に換算すると30人中アルファが約8人、オメガが約5人だ。
ちなみにこの割合図、他の作品では上下のカースト状に分けられていることも多いが、本作では横に並べられている。すごく印象がいい。
オメガ
オメガバース作品の9割強に共通しているのがオメガ性に生まれたら人生が超絶ハードモードという点。
ご多聞にもれず本作のオメガも大変に苦労しているが、「ヒエラルキー最下層に押し込められて虐げられ搾取される弱者」という扱いではない。
差別はあるが、それを是とする雰囲気もない。
オメガおよびそれ以外の性別の安全に配慮した施設や制度が設けられ、オメガバース設定の漫画にしては珍しくちゃんと法や行政が機能している。
作中、オメガに対する理解のない発言を耳にした横須賀くんが、オメガだからってあんなふうに言われるのはおかしいとこぼし、それに静香が応えるシーンがある。
これは「女性」にも半分あてはまることで、生理での不調を小馬鹿にされたり生理休暇を「ずるい」と言われることが普通にある。
私自身は学校や仕事を休まなければならないほどひどい症状が出ることは稀なのだが、インフルだと思ったら生理だったみたいなことが年に数回あったりするのでつらい時は結構つらい。
そして私と違い毎月毎月本当に大変な思いをしてきた友人たちを知っている。だから生理休暇を「ずるい」とは思わないが、残念なことに、生理というものをいいように使っている人がいるのも事実だ。
生理を利用して女性が女性を騙すことがあるようにヒートを利用してオメガがオメガを騙すこともありえるだろう。性別が違うから標的にされやすいわけでもないし同じ性別だから信頼できるというわけでもない。
性別に関係ないところで考えるとなんだろう。
「子供が具合悪くて」と言われたら何も言えなくて、子持ち同士でも真偽にかかわらず通用するみたいなのも同じだろうか。
本稿で現実の性差やら社会問題について論じたいわけではない。
ファンタジーな設定の中にこういうリアルさが入ってくる感じが好きで、身近なものに置き換えてより実感できるのが楽しい。
アルファ
本作でのアルファは「社会的地位の高い強者」という上流階級のような描かれ方はしておらず、同じ生活圏に暮らす一市民として平等に扱われ、オメガ同様しっかり苦労している。
無防備な状態でオメガのヒートに出くわした時、誘発されたとはいえ「加害者」の振る舞いをしてしまうのはアルファで、客観的にもそう見える。
この世界では事故であっても加害すれば「ちゃんと」経歴に傷がつくようになっていて、決してなあなあで終わったりしない。
アルファも自分たちがオメガやベータにとってどんな存在なのかを自覚し、世間一般にどう見られるのかを理解し、自分と他者を守るためにしっかり努力している。
それでも不用意に怖がらせてしまったり、身体が大きく威圧感があるせいで避けられてしまったりするので、アルファたちも強き者なりに傷ついているのだ。
この世界のアルファは威丈高な金持ちという感じではなく、人間と仲良くなりたい優しい怪物みたいで愛らしい。
アルファが知るべきことを教えてくれるアルファ
途中でアルファになったために、アルファとして生きてきた者が身につけているような知識や不文律に疎い横須賀くん。
静香や専門医も情報をくれるが、もっと生の情報を教えてくれるのが「どうせ行ったって避けられるだけだもんっ」と泣きごとを言っていたアルファのタケシくんだ。
上記のように本作には「番のいないオメガは早死にするが、その事実は周知されていない」という設定があり、そうなっている理由もタケシくんによって説明される。
──が、流石にそれは無理のある設定だと思った。
「周知されていない」という部分は「公的に認められていないからベータには開示されていない」と表現されているが、オメガの人口に対する割合は17%程だ。
近似する例でいうと2022年の日本の人口のうち75歳以上の割合が15.5%なのだが、同じくらいの割合でオメガが存在するのだとしたらいくらなんでも「独り身のオメガの人たちって若いうちに死んじゃうわよね」と勘付くんじゃないだろうか。
何より「そりゃそうよ、若い頃からずっと強い薬飲んでるでしょう」「しかもヒートってすごく身体に悪影響あるらしいじゃない」「いやだわ、うちの子オメガなのよ、早く番を見つけてあげないと……」という井戸端会議があるに決まっている。
人の口に戸は立てられない。
しかし本作には箝口令がめちゃくちゃ強力に働いていないと即破綻する設定がいくつか存在するので、その辺はそういう世界と割り切って読む方が良さそうだ。
ベータ
人口の6割を占めるベータは我々のような生態の男女で、残りの4割がアルファとオメガ。
それくらいの割合ならベータも自然とバース性に関する情報を見聞きしそうなものだが、ベータは基本的にバース性に対して他人事感があり、横須賀くんも他人事として生きてきた一人だ。
アルファとオメガは10代から抑制剤を常飲する必要があるけど、ベータにはそれがない。「アルファ優秀がち」「オメガ体調崩しがち」というところを踏まえると高校あたりからは学校単位で性別が偏りそうだし、ベータにアルファやオメガの友人がいるのは稀なのだろう。
本作の中では、より弱い立場にあるオメガという存在を積極的にアピールすることによって周囲の理解を促そうとする試みがあるものの、前述の項で横須賀くんが不満に思っていたようにまだまだ理解は進んでいない。
また生理を例に出してしまうけど、結婚して子供がいる男性でも生理のことをこれっぽっちも知らない人がいるし、女性同士でも程度に差がありすぎて理解し合えないことが多々ある。
前者は男性に対して生理を隠す文化が影響しているだろうし、後者は当事者なのだから全て知っているという勘違いからくるものだろう。
そんなふうに現実でも積極的に開示しなければ伝わらず、身近な人のことでも積極的に学ばなければ分からないことだらけなのだから、ベータが傍観者になってしまうのは自然なのかもしれない。
オメガバースへの印象と本作
本作を挙げておいてなんだが、オメガバースというものがあまり好きになれない。
オメガバースだけでなく、Dom/Subユニバース、ケーキバースなどの設定でもなかなか好きな作品に出会えない傾向にある。
ただ、好きではないだけで、よく考えられた設定だと思う。
しかしそれゆえ設定に頼った量産型の作品が多く「違う絵の同じ話を読んだだけ」という体験になりがちなのだ。
オメガバース設定を用いることで"同性同士の恋愛・セックスが普通"の舞台を簡単に作り出すことができ、さらに登場人物が性行為に至る流れをわざわざ整えなくても「オメガがヒート(発情期)になった」というだけで済んでしまう。
本当にアルファ/オメガという性別が存在する世界があったらどんな課題が生まれるだろう、どんな制度があるだろう、当事者の心はどう動くだろう、各性別は他の性別をどう捉えるだろう、といったことまで考えて描かれている作品はあまりなく、インスタントに性描写を入れるための設定として使われていることがほとんど。
だからオメガバースというだけで少々警戒してしまうし、作家さんへの信頼がなければ手が伸びない傾向にある。
もちろん「細かいことはいいから美麗な絵でグッドルッキングガイたちが濃厚に絡んでいる様を拝みたい」という需要があるのも理解できる。
設定の使われ方に貴賤があるという話ではない。
単に私の好みの話だ。
本作「滅法矢鱈と弱気にキス」は現代日本が舞台ではあるが、設定はかなりファンタジーで、未成年の扱いに関してもまあまあ無理があったりする。
しかし第二の性が本当に存在したらどんな社会が作られるか、どんな人間関係があるかという点にもしっかりフォーカスしてあり、「違う絵の同じ話を読んだだけ」にはならなかった。
そういう課題があるならこうしたほうが安全なんじゃ……?と思える部分もあったりするが、大事なのは「性描写のためだけのオメガバースではない」という点である。
ちなみに既刊の2巻時点で二人は童貞と処女。
オメガバースなのに!
16歳と成人男性の攻防
横須賀くんと静香は互いの性格の違い、価値観の違い、第二性をとりまくあれこれで摩擦を起こしながらも徐々に親しくなっていく。
横須賀くんは静香からの一方的すぎるオファーに戸惑っていたけど、第二性のことを理解するにつれ静香への情が湧き「なんか気になってきちゃった!!」という動揺がすごい。初恋みたいなものなのかもしれないが、戸惑ったり浮かれているのがコミカルで笑える。
静香への好意より庇護欲や頼られて嬉しい気持ちの方が先行してそうだが、きっかけはなんであれ静香は嬉しいんだろうな。
静香も横須賀くんと関わることでアルファを「机上の救い」としてではなく「身を任せられる生身の人間」として実感し、怯えや自己肯定感の低さが和らいでいっている感じがいい。
立場や生態の異なる二者が徐々に打ち解けていく様というのはいつ見てもぐっとくるな……
静香がずるいのは、横須賀くんが引いてる時は頭おかしいくらいグイグイなのに横須賀くんからちょっと歩み寄られると途端に少女漫画のヒロインみたいなおぼこい感じになり、「おれなんかに……」と卑屈になり「迷惑かけたくないんだ……」的な振る舞いになるところ。
本人は必死なだけで駆け引きしているわけではないが、初めの印象がそんなに良くなかった分、こっちに罪悪感が生まれるくらい健気さを見せてくる。
おわりに
好きな作品なのに理屈っぽい指摘とオメガバースへのネガティブな話が多かったように思う……
真面目に感想を書こうとするとどうしても細かく考えちゃって……
冒頭に設けている「好みとの合致度」が高くはないのに新刊が出るのをめちゃくちゃ楽しみに思っている作品なので、合致度計算の項目に不備があるのかもしれない。
他にオメガバース設定の作品で面白いと思ったのは「神様なんか信じない僕らのエデン」だ。
2021年に発売されてめちゃくちゃ話題になった作品らしいが、私にはそういう情報が全然入ってこず1年くらい乗り遅れた。
この作品が他と違うのは第二性という存在が未確認の世界で第二性を発現した人の話が繰り広げられるところと、アルファ側の身体や感覚の変容もしっかり描かれる点だ。
「滅法矢鱈と弱気にキス」でもアルファ側の変化は描かれるが、どちらかといえばオメガとの関わり・社会との関わりの変化について触れる場面が多く、「神様なんか信じない僕らのエデン」ではもっとアルファ自身の内面的な動きの情報が多い印象がある。
読んでからだいぶ時間が経ったからうろ覚えだ……
再読して別途感想文を書こうかな……書くかもしれない。
上下巻のあと2が出ていて、以下続刊のようだ。