読書感想文 #9:神様なんか信じない僕らのエデン/一ノ瀬ゆま
好みとの合致度:80%
- 絵柄:4/5
- ストーリー:5/5
- キャラ:4/5
- ノリ:3/5
本稿では「神様なんか信じない僕らのエデン 上・下」および2巻末の作家さんのコメントについて言及し、2巻以降の本編は別で扱う。
予備知識:オメガバースとは
新しい視点からのオメガバース
本作を初めて読んだ時、読みながらなんて素晴らしい作品なんだと感動していた。
感動したポイントは
オメガバース設定の使い方が新しく必然性があること
アルファ側の戸惑いや葛藤が描かれていること
の二つ。
アオリなどで「オメガバース」という単語が用いられているが、作中で「オメガ」や「第二の性」という単語は使われない。
登場人物の様子から「おそらくオメガバースを描いているのだろう」と推測しつつ読むことになるが、散々使いまわされ擦り切れていたオメガバースというジャンルにおいて、その濫觴(らんしょう:物事の始まりや起源のことをいいます。最近覚えた難しい言葉なのでわざわざ使いました)を題材にしたというのは本当に素晴らしいことだと思う。
先に感想文を書いた「滅法矢鱈と弱気にキス」では「オメガバースなのに性描写が少ない」ことを良い点の一つとして挙げているが、本作はむしろ性描写の割合が多いようにも感じる。
脈絡もなくやたらとそういう描写ばかり詰め込まれているとげんなりしてしまうが、本作はそうではない。
ポイントは性描写の多寡ではなく「どのような流れで描写されているか」にある。
本作は第二性を発現した最初のふたりが描かれるが、彼らのいる世界は我々がいま生きている世界と何も変わらない。我々が男と女しか知らないように、誰も第二性のことを知らない世界だ。
当然、第二性にまつわる用語もなく第二性をコントロールするためのノウハウも存在しないのだから、原因不明の強烈な衝動に抗う術などなく、自分の身に起きていることがなんなのかすら分からないまま本能に飲まれて性行為にふけるしかない。
同性同士の性描写を手軽に入れるための手段としてオメガバースが使われているのではなく、解明されていない状況にある第二性の順当な描写として性行為が描かれている。
設定の使い方として必然性があり、安易さを感じないのがとても好ましい。
はじまりの二人
登場人物の、喬 織人と西央 凛々斗は同じクラスの同級生。
我々が住むのと同じ「普通の世界」で、西央くんがオメガ性の特徴を発現し、おそらくアルファ性である喬がそれに引っ張られる。
「なんかすげーサカってる」ことしか分からない西央くんと、「西央くんの匂いよすぎてやばい」と動揺するだけの喬。
第二の性が知られているなら「これはヒートだ」「オメガのフェロモンだ」と気づくのだろうが、世界中の誰もそんなことを知らないので、「すぐに離れなければならない」という常識やフェロモンの影響を抑えたり症状を和らげるような薬は存在せず、本能に抗えない二人は無我夢中で互いを求め合う。
「知らない」恐怖・「知られていない」恐怖
何度セックスしてもおさまらない西央くんは倉庫から出られず、喬は出歩けはするものの西央くんのことが頭から離れない。二人ともなぜ自分たちがそんなことになっているのか分からないまま、人知れず密会し、身体を重ねることを繰り返していく。
そうしているうち西央くんの首筋に惹かれて噛みつこうとする喬と、そんな喬に首筋を撫でられて何か本能的な欲求を感じる西央くん。
おそらく番になるために首筋(うなじ)を噛む・噛まれるという行為を漠然と欲していると思われるが、当然二人には自分に湧き上がった欲がなんなのか分からない。
他作品では「首筋(うなじ)を噛みたい・噛まれたい」という衝動にかられたとき、それが何を意味するのかを当事者たちが理解している。噛まれてしまったらどうなるか、噛んでしまったらどうなるか、行為の意味を知っているからこそ本能に思考を圧迫されながらも明確に葛藤することができる。
本作で、喬はおそらく「噛む=傷つける行為=してはいけない」という理由で何度も思いとどまっているが、西央くんは「噛まれる」と明確に分かってはいないものの「別に噛まれても構わない」くらいの状況なので、メカニズムが解明されていない段階での第二性はいろんな決まりごとのある人間にとってかなり厄介だなと思った。
オメガバース作品では第二性の仕組みを悪用する描写も数多く見られるのでナレッジがあったらあったで恐ろしい生態だが、「自分の心身に著しい変化が起こっているが何も状況を理解できない」「他者(クラスメイト)を巻き込んでいる」「しかも自分たちは10代(裁量や権限がなく障壁が多すぎる)」なんて、意図的に悪用されるのと同じくらい恐ろしい。
第二性が知られている世界では「事故」として処理されるかもしれない状況でも、我々の世界で「犯罪」に見えることは本作の世界でも「犯罪」を疑われる。
高校の同級生同士がセックスしただけなら別に珍しいことではないだろうが、いくら「お年頃」でも「何日も家に帰らず倉庫で性行為に及んでいた」なんて異常事態としか思われない。
「やりたくてたまらなかったので倉庫に喬を誘ってセックスしてました」
「西央くんがいい匂いすぎたので倉庫に閉じ籠ってセックスしてました」
嘘をつかずに正直に言っても、それが完全に合意だったと言っても、「いや、家に帰らないのはさすがにおかしいだろ」「監禁してたのでは?」「脅されているのでは?」と誰からも理解されないだろう。
唯一の救いは同性同士だったことで筋力や体格の差による無理矢理感が薄れる点だが、やっぱりそれだけではカバーしきれない。
解明していく喬・容受する西央くん
幸いなことに喬はとても勉強のできる子である。
これが"おそらくアルファ"ゆえのハイスペックかどうかは明言されていないが、いわゆるエリートタイプの学生だ。
喬は先生が恐縮するほど賢く、自宅の本棚も小難しい本で埋まっていて「勉強が趣味」みたいな子。西央くんとの行為の過程で自身の身体の変化と類似する実例を思い出し、当事者の喬が解明に乗り出す。
ここでいう身体の変化とはノット(亀頭球)のことで、それをきっかけにイヌ科の特徴が双方に現れていることに気がつき、西央くんの「匂い」や自身の変化から諸々仮説を立てて、それらを共有する過程で「西央くんのすっごいやりたくなる衝動って雌の発情期に似てる」と伝える。
通常、男性(キャラクター)は自身を「メス」に喩えられたりすると男としてのプライドや尊厳が傷ついたような反応を示すことが多いように思うが、西央くんは「すげえしっくりくる……」とすんなり受け入れている。まるで自身のメスとしての魅力で喬を虜にしていることが誇らしいかのようで、その佇まいが妙に色っぽい。
アルファの戸惑いと葛藤
下巻ではアルファの特徴が強まっていく喬の内面が描かれる。
上巻から示唆されていた身体能力の改善や威厳のようなものの強まりが顕著になり、五感が鋭敏になり、運動能力が明確に向上し、さらには縄張り意識や支配欲、西央くんに対する独占欲が芽生えだす。
自分の教室を自分のテリトリーだと感じ、別のクラスの人への排他的な感情やクラスメイトの状況を逐一把握してしまう感覚に陥り、加えてこれまでの喬にはほとんどなかった尊大さや暴力性が現れ「最適な方法が用いられていない何か」や「最善の行動を取れていない誰か」、「自分をコントロールしようとするもの」に対する怒りや傲慢不遜な思考が度々よぎるようになり、そういう"アルファの喬"と"これまでの喬"による精神的な衝突が起こる。
読者はなんとなく「これまでの喬」と「アルファの喬」の一過性のぶつかりだと思えるからいいが、当人からしてみたら突如ひどい精神障害に陥ったようなものだ。
これまで聞こえなかった音が聞こえ、見えなかったものが見え、気にならなかったものが気になり、粗が見え、非効率だ、愚かだ、くだらない、理にかなってない、俺の邪魔をするな、ここは俺の縄張りだ!!!
そんな思考が常に自分の頭に渦巻くようになるなんて、苦しみ以外のなにものでもない。
誰かより自分が優れていると思うことは一見、自信に繋がるいい傾向に思えるかもしれないが、他者を見下す思考や支配すべき対象だと判じる思考が常にあるというのは本当に怖い。他者の在り方や意思に敬意を持てないというのは不幸だ。
それを分かっている「これまでの喬」は「アルファの喬」に反発する。そうやって二つの思考が互いに否定し合うが二重人格ではなく、喬にとってはどちらも自分でどちらの言い分も理解できる。
感性は同じなのに価値観が違うのだ。
他作品に見られるアルファの戸惑いや葛藤の多くは社会的なものやオメガとの関係のなかに存在することが多かったが、本作ではアルファとして成熟する過程の身体的・精神的な変化に起因するそれらが存分に描かれている。
支配的・暴力的になっていく自分をおいそれと受け入れられず、コントロールもできず、望まぬ自身の変化とそのあまりの差異に頭も心も追いつかずに思い悩む。
そういうアルファの心理的描写がしっかりある作品が珍しく、本作はとても興味深かった。
西央くんを「自分の雌」として思い通りに支配したいという生々しい欲望と、あくまでも西央くんの意思を尊重した上でパートナーとして選ばれたい良心。
もはや前者を「アルファの喬」と表現するには思考が極端すぎるので、「アルファになったことで欲が強まり、自己を卑下する感情が弱まった状態」に訂正したい。
きっとこの欲のバランスがおかしなところでフィックスしてしまうと傲慢で性差別主義者のアルファになり、モラル強め寄りで定着すると優しくて包容力のあるアルファになるのだろう。
創世記からの引用とアート
本作ではユダヤ教のタナハ(あるいはヘブライ語聖書:キリスト教でいうところの旧約聖書)における創世記がモチーフになっているようだ。
まず作品冒頭に創世記からの引用がある。
50章からなる創世記は内容から三分割することができ、最初の一つが「天地創造と原初の人類」とまとめられているが、その中でも有名なのは「アダムとイブ」「ノアの方舟」「バベルの塔」あたりだろうか。
本作の表紙を上下とも見てみてほしい。
背景、人物画、その手前に枠線のみで白塗りにされた植物が配置されているのが見えるだろうか。
上巻では林檎の花と蕾、下巻では林檎の実が描かれている。
創世記が何かを知らなくても、アダムとイブ+林檎には何度も触れたことがあるだろう。
神はアダムを生み出し、アダムの肋骨からイブを生み出した。楽園には知恵の樹があった。二人は樹に触れたり実を食べることを禁じられていたが、蛇にそそのかされて禁を破り、楽園から追放されてしまう……というあれだ。
聖書には全く詳しくないが、作中、強烈な欲望が発露しているようなシーンで蛇のようなものも描かれているので、創世記の「アダムとイブ」からは色々と引用されていると思われる。
ちなみに知恵の樹=林檎というのが通説っぽいが、創世記においては単に「知恵の樹」と表現されているだけで林檎とは書かれていない。
色々あって林檎になったのだろうが、「諸説あり」どころか「地域的に林檎なわけがない」という話さえあるとのこと。
アダムとリリス
そうか、これは「最初の人 アダムとイブ」の話なのか。
と思いきや、そうではない。
アダムの最初の妻として登場する女性を「リリス」といい、リリスとアダムは対等な男女だったがアダムが支配を望んだためリリスは楽園から去り、残されたアダムのために神がアダムの肋骨から作ったのがイブとする解釈がある。
本作の西央くんのフルネーム西央 凛々斗はこのリリス(Lilith)から取られている。
凛々斗について作中では「キラキラネーム」と言及されているが、西央くんのお母さんがやたらぽわぽわしたキャラなのは「このキラキラネームを付けてもおかしくない親」にするために操作されたゆえなのかもしれない……
アダムとリリスについては聖書でもわずかにしか触れられていないのだが、先般 鑑賞録を書いた「ハズビン・ホテルへようこそ」でもEp.1冒頭で触れられているので気になる方は見てみてほしい。
ミュシャ感
繰り返し使われるリンゴモチーフの他に気になったのはミュシャっぽさである。
「アートって何?落書きと見分けつかないんだけど」みたいになってしまう私のような人でも明らかに「アートだ……」となるのがこのミュシャである。
何度かミュシャ展に行ったが、製作時の時代背景や画家に関する予備知識なしに行ってもちゃんと楽しめるのでぜひおすすめしたい。
本作の作家さんが影響を受けたり意識しているかは分からないが、本作の中にもミュシャのスタイルを意識したのかも?と思えるような部分があり、そのおかげで余計に西洋感というか、聖書との結びつきが強まって感じる。
(わざわざ言うのも恥ずかしいが)ミュシャはあらゆるクリエイターに影響を与えている画家なので、ミュシャ好きとしては色々なところでそれっぽい片鱗を見ることができるのがとても嬉しい。
おわりに
本作の感動したポイントとして
オメガバース設定の使い方が新しく必然性があること
アルファ側の戸惑いや葛藤が描かれていること
を挙げたが、もう1つ付け加えたい。
画力の向上っぷりである。
私みたいなド素人が「画力の向上っぷりである」なんてどの面下げて言ってんだという話だが、上巻の冒頭と下巻の完結時で明らかに差が出ていて、かつめちゃくちゃ好みになっている。
正直な話、初めの頃の喬のキャラというかコメディー加減というかギャグセンがかなり受け付けなくて、あれー?これもしかしたら読んでられないかもしれないなー?なんて思ったのだが、割と早めにシリアス展開になってくれたおかげでギリギリちゃんとこの名作を読み進められた。
しかし忘れた頃に挟まるギャグ描写がやっぱり受け付けず、げんなりしそうになったところで絵の綺麗さに気づいて持ち直し、喬の弟のキャラにげんなりしては絵の綺麗さで持ち直しという救世主的役割すら果たしてくれている。
本作は上下巻で綺麗に完結していてるが、あまりにも人気があったために続編が決定したのだろう。
上下巻の次に2巻が2023年4月に発売されている。
2巻末の作家さんコメントで「絵の練習をし上達してもその数倍 自分のダメさが分かるようになり結果『筆が遅くなった』」という趣旨のことが書かれているので、3巻が出るのはもう少し先になるのかな……1年に1冊ペースで出てくれたらすごく嬉しいんだけど……
私が好きな作品TOP10のうち未完結作品のほとんどが長期間休載していたりなんかよく分からないがとにかく単行本が全然出なかったりするので、本当に、お願いなので、そのジンクスにだけは当てはまらないでいただきたい。