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鑑賞録 #22 「ティム・バートンのコープス・ブライド」
ただでさえティム・バートンとダニー・エルフマンのタッグ作が好みにぶっ刺さりすぎてたまらないのに、その中でも特にぶっ刺さっている作品。
💙 好みとの合致度:84%
- アートスタイル:5/5
- キャラクター:4/5
- ストーリー:3/5
- ノリ:4/5
- 音楽:5/5
本作の良い点は
ストーリーやキャラが単純明快で分かりやすい
声がいい
音楽が最高
ビジュアルが最強
というところにある。
ストーリーや設定がシンプルなおかげでティム・バートン・ワールドに集中できるし、声優さんが豪華&ちゃんとキャラに合っているし、音楽が逐一素晴らしいし、アートスタイルが好みすぎてため息が出ちゃう……
単純明快
本作はとても分かりやすいつくりになっていて、頑張って頭を捻らずとも話が理解できる。
キャラもストーリーも見たまま感じたまま素直に捉えればよく、変に勘ぐったり疑心暗鬼になる必要はない。人格が外見にこれでもかとあらわれていて、こいつ頭カタそ〜と思ったら頭のカタいキャラだし、裏ありそ〜と思ったらちゃんと裏がある。
二つの家
冒頭、陰鬱とした街の風景や人々が映され、ヴァン・ドート家とエヴァーグロット家の政略結婚についてセリフと歌を交えミュージカル形式で紹介されていく。
両家の状況と人々の性質が分かりやすく示されるので、この部分(と、のちに出てくるガイコツの歌)さえちゃんと聴いておけばよい。
両家の状況は大体こんな感じだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1710763009149-we7qXPIqT7.png?width=1200)
「ワナビーで俗っぽく品のないステレオタイプ成金」の両親に挟まれた気弱なヴィクターと、「高慢でエリート意識だけは一丁前のステレオタイプ(没落)貴族」の両親に挟まれた控えめなヴィクトリアの政略結婚が決まり、式のリハーサルのためにエヴァーグロットの屋敷で一堂に会す。
打算と欲望の渦巻く両親たちから離れ、玄関ホールのピアノに手を伸ばすヴィクター。
ヴィクターは月光ソナタのような、ゆったりと物悲しく不安で、しかし月の光のように淡い希望が見え隠れする曲を弾き始める。
ヤダ……こんな曲弾かれたら好きになっちゃう……
自分がピアノを習っていたせいなのか関係ないのかは分からないが、私はピアノをサラッと弾ける男の人に易々と心を奪われる病気にかかっている。
でも、注目されたいとか、承認欲求が見えるとか、「おれのピアノを聴けえええええええええ」みたいなのじゃだめだ。
何気なく、誰に見せるでも、誰に聴かせるでもなく、手持ち無沙汰でピアノを弾きだしちゃうような人をすごく魅力的に感じる。
ヴィクターって別にイイ男って感じではないのにこのピアノのシーンが入るだけで素敵な男性に見え、演奏を聞きつけて上階から降りてきたヴィクトリアが初対面なのに好感を示している様子にも大変共感できてしまう。
選曲も素敵
あの場で弾いた曲が「エリーゼのために」だったらちょっと幼い感じがするし、「革命のエチュード」だったらうるっせえ!ってなるし、「ラ・カンパネラ」は一瞬いいかも?みたいな気持ちにもなるが初めから高音が連続して鳴るのであの雰囲気には向かない気がする。
大体、あの雰囲気で超絶技巧曲を弾くような感性の人はちょっとセンスがない。
その点このVictor's Piano Soloは、例として挙げた月光ソナタの第一楽章のように「ある程度の難易度はあるが超絶技巧は要求されず、しかしその分ゆったりとした弾き方(Adagio sostenuto)のセンスが問われる」みたいな曲だ。
テキパキ弾きすぎても面白くないし、ゆったりもったりしすぎても間が悪く聞こえたり「自分に酔ってる感」が出てしまう。
「月光」が弾く人によって全然違うっていうのはYouTubeで検索して上位に上がってくるものだけを聴き比べてもよく分かる。
ちなみに月光ではないが、10代の頃、某曲の自分の演奏を録音して聴いてみた時に「マジでこいつ酔いすぎ。センスなさすぎ」と愕然としたことがあった。今思い出してもおそろしい。
自分がどんなふうに弾いているか、どんなふうに聞こえているかの認識が演奏しながらの印象とあんなに違うものだとは思わなかった。
ちなみに、エヴァーグロット家ってお金がなくて音楽にも関心がなくて金庫も蜘蛛の巣が張っているような状況なのにちゃんと調律してあるのかな?と思ったりしたが、
これ本当に「お金がなくて調律師も頼めない」状況を再現してピッチの狂ったピアノで収録してたら(私の耳では多少の狂いは聞き取れないだろうが)細かくて面白い。
小さい頃に調律師の人が来てくれた時、私は調律作業の音がなんか好きでずっと近くで聴いてたりしたんだよね……今でいうところのASMRってやつかな……
生者の世界 と 死者の世界
ヴァン・ドート家とエヴァーグロット家の対比の他に「生者と死者」の対比も存在する。
ヴィクターはリハーサルがうまくいかず森で一人練習するが、誤って「死体」を相手に誓いの儀式を行なってしまい、それを受けた死体の花嫁のエミリーによって生きたまま死者の世界に連れて行かれてしまう。
連れて行かれた死者の世界の住人たちは姿形こそ異形感はあるものの、陽気でカラフルで、陰鬱で殺伐としていた生者の世界よりよほど楽しげだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1710762016357-nv8SIfxp9X.png?width=1200)
死者の世界でもひときわ陽気で歌の上手いガイコツが登場するが、彼の声と歌唱を演じているのは何を隠そう本作の音楽担当ダニー・エルフマンである。
ダニー、音楽的才能に溢れすぎ。
声優さんたち
本作の声優を担当しているのは有名な俳優である。
ヴィクター役をやっているのはジョニー・デップだし、エミリー役はヘレナ・ボナム・カーターだし、ヴィクトリア役はエミリー・ワトソンだし、牧師役はクリストファー・リーだ。
特にヘレナ・ボナム・カーターなんて私の中では大憧れの人で、彼女を観るためにオーシャンズ8を観たし、英国王のスピーチを観たし、彼女が演じていたというだけの理由でベラトリックス・レストレンジ推しになったほどである。
俳優さんばかりが声優として採用されると日本では批判されがちだったりするが、本作では全く批判の余地がない。
英語話者にどう聞こえているのかは分からないが、少なくとも私にとってはどのキャラクターも合っているし、演技も素敵だ。
それから、「声優さんの顔が浮かんでこない」というのが大変よいポイントである。
私は声優さんに関しては顔も私生活も素の声も素の喋り方も一切知りたくない。キャラクターだけに集中したいからだ。(英語圏の声優さんはめちゃくちゃ調べてストーキングしてるけど)
スキャンダルとか人柄とかも本当に、教えないで、週刊誌。ネットニュース。頼むわ。
声優さんのプライベートとかマジでどうでもいいし他人の生活にいちいち首突っ込むなんて野暮。作品鑑賞の邪魔。
声優さんには声しか求めてないの、私は。
しかし本作では世界的に顔も私生活も知られている有名な俳優ばかりであるにもかかわらず、声を聞いても顔が浮かんでこない。
ちゃんとそのキャラクターの声に聞こえる。
キャラの身体や声帯を使って音が鳴っているようにしか聞こえない。
なんで?
声優さんも素晴らしいがディレクション(ティム)も大変素晴らしい。
細かい言い回しや歌い方が凝っているし、やっぱりキャラに合っている。
音楽が最高
出会いは音楽のサブスク配信なんてものが始まる遥か前だったので、CDが擦り切れるくらいOSTのアルバムを聴いてきた。
ミックスも最高なのでヘッドホンやイヤホンで存分に聴いてほしい。
度々チェンバロが使われているのも好きだし、マレット楽器類を含むパーカッションの入り方も好き。
音楽的なことは何も分からない。でも好き。
ミュージカル映画になっちゃうとどうしても苦手意識があるのだけれど、本作は歌唱部分の導入が自然で違和感がなくむしろ楽しめた。
ビジュアルが最強
ティム・バートンの生み出すキャラクターたちの虜になっている人は世界中に数えきれないくらい存在するだろう。
キャラクターのみならず背景や色合いのような美術面、フォントでさえも魅力的だが、センスに惚れてしまったらおしまいだ。一生ついて行かなければならなくなる。
スタッフの方々もすごい。ティム・バートンの世界を具現化するというのは並大抵のことではないだろうと思う。
CGも使っているがベースはストップモーションで、背景もちゃんと実物が存在する。
メイキングを見ても細かい表情や服の皺、ゆらめきをひとつひとつ手作業で動かしては撮影し、またわずかに動かしては撮影し、観ているこちらの気が遠くなるようだ。
ストップモーションに限らずアニメやパラパラ漫画等、微調整に微調整を重ね何枚もの静止画を連続させて素晴らしい動画を作っている人たち、それに限らずクリエイティビティで大勢を幸せにしている方々には一生食いっぱぐれず老後の心配などもすることなくさらに幸せに生きていってほしい。
ちなみに「コレクションドール」という登場人物たちご本人そのものとしか思えない再現度のフィギュアシリーズが存在するが、当然プレミアがついていて私には手が出せない。
衣装もフィギュア素材ではなくちゃんと布でちゃんと汚しも入っていて、今にも動き出しそうなくらいリアルで美しいのだけど……プレ値では買えない……
映画公開されたのって2005年か……来年あたり20年記念で復刻版を……出してくれないか……
製造していたJun Planningが2009年頃に自己破産してるらしいから難しいかもしれない……いや、会社がなくなっただけで作っていた人が全員消えてなくなったわけじゃない……
たのむ……20周年記念復刻版を……!
エミリーの幸せ
本作ではヴィクターが政略結婚相手のヴィクトリアと死体の花嫁のエミリーどちらの夫になるかという面も描かれるが、ヴィクトリアとエミリーはそれぞれに魅力的で、どちらか片方ではなく両方に幸せになってほしいと思える。
そういう意味でいうと途中のヴィクターはエミリーに対してかなり酷いことを言ったりやったりしているので「なんだこいつ……」と思う瞬間があるが、エミリーは騙されていたことを悲しむだけで「失礼だ!」とか「あなたのせいで傷ついた!」と怒ったりはしない。
そして結局、エミリーは誰の花嫁にもなれずに消えていく。
愛した人に裏切られ、ヴィクターのプロポーズもただの練習台。
ヴィクターは自分が元の世界に帰るために本当のことを隠し、純粋に喜ぶ彼女を騙して無闇に傷つける最低な男。
なんて、エミリーに肩入れしているとそんなふうに思ってしまうが、ヴィクターの立場なら私も同じことをするかもしれない。
いくら純粋で愛嬌があり美しいとはいえ相手は死体だ。
文字通り住む世界が違う。
最後、エミリーの無念が晴れて成仏(世界観的に成仏ではないだろうが)したように見えるが、彼女は幸せな結婚生活や愛し愛される幸福を知ることなく無数の蝶になって消えてしまう。
なんて切ない物語だろう。
自分の死にまつわる心残りが晴れて、そういう意味では解放されたかもしれないが、私はエミリーにもちゃんと幸せな時間を過ごしてほしかった。
ヴィクターをダーリンと呼んで探している声、スクラップスを見て喜ぶヴィクターを見つめる優しい眼差し、ピアノの連弾をしている時の楽しそうな顔……
本作はヴィクターが蝶のスケッチをしているところから始まり、最後はエミリーの身体から生まれた蝶が月夜に飛び立つシーンで幕を閉じる。
生者はモノクロのカラーリングだが死者の肌は青色で表されていて、冒頭でスケッチされている蝶もエミリーの蝶も生者の世界にあって唯一青色だ。
もしかしたらヴィクターがスケッチしていた蝶も元は「誰か」だったのかもしれない。
このように蝶が印象的に用いられているが、「蝶」を生と死、復活、輪廻転生の象徴とする文化がちらほらと見られる。
●仏教では極楽浄土に魂を運んでくれる神聖な生き物
蝶は、サナギから脱皮して美しい翅(はね)をもつ蝶が飛び立つことから、死後、からだから抜け出した魂を極楽浄土に運んでくれるとして神聖視されていました。輪廻転生の象徴でもあるため、仏具にはよく蝶の装飾が使われています。
■海外における「蝶」の縁起
蝶は海外でも、人間の生と死と復活のシンボルとしてとらえられており、死者の魂が宿るとされています。
ギリシャ語で蝶は「psyche(プシュケ)」といいますが、これはギリシャ神話に登場するアモルに愛される美少女の名前が由来です。この名前のもとは「霊魂(プシュケー)」を人格化したもので、魂や不死を意味しています。ギリシャ神話の中で、プシュケは様々な苦難を乗り越えて、ヴィーナスの息子アモルと結婚を認められ、永遠の命を得て女神となります。
世界各地にチョウが人の死や霊に関連する観念が見られる。キリスト教ではチョウは復活の象徴とされ、ギリシャではチョウは魂や不死の象徴とされる[7]。ビルマ語に至っては〈チョウ〉を表す語 လိပ်ပြာ /leʲʔpjà/(レイッピャー)がそのまま〈魂〉という意味で用いられる場合もある[8]。
制作者側の意図がどうであれ、私はエミリーの魂が生まれ変わって、来世ですごく幸せに生きられるかもしれないという「希望」「救い」として受け取っている。
何かをこじつけてでも、彼女の幸せを願わずにはいられない。
💙💙💙