授業料20万円を払って、作家養成スクールで学んだこと
「今自分の作品を書いてるよって人は、手を挙げてください」
ぐるりと教室を見渡して、現役作家の講師は言った。
恐る恐る周囲を見渡すと、まばらに手が挙がっていた。手を挙げたのは、生徒の2割程度だったと思う。
「手を挙げた人は、今の時点で作家になれる可能性があります」
羞恥で身体が熱かった。わたしは、手を挙げることができなかった。
数年前、作家養成スクールというものに1年間通った。90分の対面授業が週に1度、授業料は一括払いで約20万円だったと記憶している。
小説家や絵本作家、脚本家などが代わる代わる講師を勤め、「物語の構成について」「キャラクター造形について」といった具合に、授業ごとにさまざまなテーマが設けられていた。
受講したのは初心者向けの講座だった。文章を書くうえでの基礎知識が主で、超初心者のわたしは、もちろんそれぞれの授業の中で得るものはあったけれど、言ってしまえばそれらは、文章読本などの書籍からでもじゅうぶんに学べる内容ではあった。
安くない授業料を払っての対面授業という、受け手のモチベーションによる吸収度合いの差は大いにあるけれど。
けれども、ただひとつ、作家養成スクールに通ったことで身をもって学んだことがある。
例えどんなに感動的で壮大なストーリーが頭の中に広がっていたとしても、どんなに作家になりたいと願っても「書かなければ、書けない」という事実。
当時のわたしは、何かを書きたい気持ちだけはあって、とりあえずノートやパソコンに向き合って、何かしらを書いてはみるのだけれど完成させることができなくて、それらはとても誰かに読ませられるようなものではなかった。
だからわたしは、冒頭の講師の問いに、手を挙げることができなかった。
作家養成スクールに通えば、何かが変わるだろうと思った。真面目に授業を受けてさえいれば、多少なりとも何かが書けるようになるだろうと思った。
だけどどんなに知識を詰め込んだとして、実際に手を動かして、書かなければ、書けない。結局は書くしかないのだ。
何を当たり前のことを言っているのだろうと思うだろう。でも意外にも、作家を志し、休まず真面目に授業を受けている人の中にさえ、わたしのような人は多かった。
書きたい書きたいと言いながら、何も書いていないのだ。
講師は言った。下手でもいい。最初は短いものでいい。ジャンルにこだわらなくていい。とにかくひとつの作品を完成させること。公募に出すでもいいし、ネットに上げるのでもいい。書いたものを、とにかく読んでもらうこと。
下手くそなりにどうにかこうにか書き上げて、緊張で震えながら提出した課題に、担当講師からあたたかい感想をもらった。泣きそうだった。
小さな小さな一歩ではあるけれど、その時、わたしはようやく前に踏み出せたのだ。