映画「14歳の栞」みんなちがって、みんないい
映画「14歳の栞」を見た。
みんなちがって、みんないい。
金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」の一節が頭に浮かんだ。
映画は、とある中学校の2年6組の3学期をとらえたドキュメンタリーで、35人の生徒それぞれの視点から見た日常が淡々と映し出される。
大きな事件は何も起きないけど、14歳ならではの心の揺らぎ、繊細さ、親密さ、不自由さ、ヒリヒリしたリアリティに引き込まれる。
あたりまえに、いろんなひとがいる。クラスの中心で騒ぐひと、すみのほうでひっそり顔を伏せるひと、教室には来ないひと。
学校生活に重きを置くひともいれば、教室にいるときの自分は「オフ」だと言い切るひともいる。このクラスがずっと続けばいいのにと願うひとも、早く解放されたいひともいる。
あたりまえに、大事にしていることや得意なこと、考えかたが違っている。
映画では、教室内ではあまり目立たないひとが、それ以外の場所で活き活きと過ごす姿にもたびたび焦点があたる。
自分が14歳だったころは、教室内での序列がすべてだった。明るいひと、容姿のいいひと、スポーツができるひと、そういうわかりやすい何かを持っているひとが上にいて、それが勝ち組なのだと思ってた。
でも大人になってみれば、そんな序列にまったく意味なんてないのだと気がつく。教室内での自分なんて、人生の中のほんのひとつの側面でしかないことに気がつく。
大人の世界は大人の世界でめんどくさいことは多々あるけれど、少なくとも視野はぐっと広がる。
映画の中では、教室内の序列など気にも留めず、飄々と自分のやりたいことに打ち込んでいるひと(その姿はかっこよくて羨ましい)もいたけれど、自分に自信が持てないと語るひとも多かった。
「自分のことが嫌いです」「自分なんてダメだと思う」「ひとと比べて自分は劣っているなと思う」
そう語る14歳を大人のわたしの視点に立って見れば、だれもかれもがただ可能性に満ちていて、ひたすらに眩しい。思わず胸が苦しくなるほど。
14歳のわたしが聞いたら、そんなのきれいごとだと言いそうだけど。
どうかその輝きにはやく気づいてと、願わずにはいられない。