Novelber2020/12:ふわふわ
ジェムは基地の廊下で奇妙なものを目撃する。
それは……、真っ白な、アザラシであった。
正確に言うならば、大きなアザラシのぬいぐるみが、直立して、廊下をひょこひょこと歩いているのであった。
もちろんアザラシのぬいぐるみがこんな場所にいることはおかしいし、ましてやアザラシとは直立してひょこひょこ歩くものでもないわけで、そのからくりはアザラシの横から覗いた青い頭ですぐに明らかになった。
「……どうしたんですか、そのアザラシ」
「こんにちは、ケネット少尉」
ぬいぐるみの向こう側を覗いてみれば、ぬいぐるみを抱いていたちいさな姿がぱっと顔を上げる。ジェムにとっての唯一の後輩――人工霧航士セレスティアは、青すぎるほどに青い目をぱちりとひとつ瞬きして、淡々と言う。
「このアザラシは、ゲイルに買ってもらいました」
ゲイル――ゲイル・ウインドワード大尉に対するジェムの感情は極めて複雑だ。そのため、すぐに返答ができずにいると、セレスティアはアザラシを腕いっぱいに抱いたままちょっとだけ胸を張るような動作をする。
「ずっと欲しいと思っていました。大切にします」
「それは……、よかったですね」
任務に必要のないものを買ってどうするつもりだとか、ゲイルはセレスティアに対して過保護すぎではないかとか、色々な言葉が胸の中に浮かびはしたが、結局、そう言うことしかできないのだった。
果たして、ジェムの内心に渦巻くあれこれを知ってか知らずか、セレスティアはじっとジェムを見上げたまま、こくんと首を傾げる。
「触ってみますか」
「いえ、自分は……」
「触ってみますか」
質問の形をとってはいるが、どうやら「触れ」という意味であるらしい。ぐ、と押し出されたアザラシのぬいぐるみに、ジェムは恐る恐る指を伸ばす。ただのぬいぐるみなのだから、そう構える必要もないと思いながらも。
そして。
ふわ、という感触が指先に伝わる。大きな見た目に反して、ぬいぐるみはふわふわだった。表面の布は思ったよりもずっと滑らかで、中に詰められた綿の感触が素直に伝わってくる。
「ふわふわですね」
「ふわふわなのです」
言いながら、セレスティアはぐいぐいとジェムにアザラシのぬいぐるみを押し付けてくる。セレスティアに表情はなく、声音も平坦だからわかりづらいのだが、もしかするとこれがセレスティアなりの親愛の表現なのかもしれなかった。
ジェムは果たしてここからどうすればいいのか、と内心困り果てながら、押し付けられるままにアザラシのぬいぐるみをふわふわしていたのであった。
(ある日のサードカーテン基地にて)
あざらしの餌がすこしだけ豪華になります。