Novelber2021/03:かぼちゃ
「トリック・オア・トリート」
刑務官に連れられて研究室にやってきたXに、声をかける。すると、Xは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「知らない? ハロウィン」
Xが外界から切り離されて久しいとはいえ、いくらなんでもハロウィンを知らないとは考えにくい。目をぱちくりさせるXに発言を許可すると、「はあ」と気の抜けた声が零れ落ちた。
「知っては、いますが。そうですか、今日でしたか」
「ぴんと来ていない顔ね」
「私には、縁の無い行事、でしたので」
思い返してみれば、日本においてハロウィンが盛り上がるようになってきたのは案外最近のことであるような気がする。私より一回りほど上の世代であり、さらにここ十年ほどの時勢を知らないはずのXにとって縁遠い行事であることは間違いなさそうだった。
「ハロウィンが、どういう日なのかは、わかってる?」
「顔のついたかぼちゃを用意したり、お化けの仮装をした子供にお菓子を配ったりする日、ですよね」
イメージとしては間違っていない。ただ、ハロウィンという日の意味するところについての解答にはなっていなかった。故に、私は意識して笑みを浮かべ、Xを見やる。
「ハロウィンはね、私たちのプロジェクトにも無関係じゃないのよ」
Xは首を傾げる。これは本当にハロウィンの成り立ちを全く知らないという顔だ。
「かいつまんで言ってしまえば、十月三十一日は、ある文化圏において『異界』が『こちら側』に向かって開かれる日だとされているの。死者の霊が家族を尋ねてきたり、精霊や魔女が現れたりする、そんな日」
「死者の、霊……」
Xがわずかに唸るような声で、私の言葉を繰り返す。
幾多の『異界』を覗いてきても、Xは相変わらず死者の「その後」の存在には懐疑的だ。死後には何も残らない。そうでなければならない。それがXの持論である。もっとも、まだ我々も死後の存在そのものを観測したことはない。
「私たちが収集してきたデータでも、ハロウィン前後に『異界』そのものや『こちら側』にありえない存在が観測された例は有意に多い。普段は隔絶している『異界』が、あちらから『こちら側』に近づいている……、そんな風に取れるデータなの」
「なるほど?」
「やっぱりぴんと来ていない顔ね」
「実際に、体感してみないと、なんとも」
Xはどこまでも淡々と言う。その言葉には私も「そうね」と認めざるを得ない。
私がどれだけ言葉を重ねたところで、それを「体感」しない限り、Xの実感にはならないということなのだろう。Xは決してものわかりが悪い方ではないが、経験に重きを置くタイプであることも、わかり始めていた。
「それじゃ、実際に体感してもらいましょうか」
結局のところ、ここから先はいつもと何が変わるわけでもなく。
迷いなくひとつ頷いてみせるXに、私はこのプロジェクトの責任者として、指示を下すのだ。
「『潜航』の準備を始めてちょうだい」
あざらしの餌がすこしだけ豪華になります。