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Novelber2020/19:カクテル

「よし、これで大人しくなったね」
 トレヴァーが冷え冷えとした目でアーサーを見下ろす。つい先ほどまで酔った挙句にぎゃあぎゃあと喚いていた――毎度のごとく、女にこっぴどく振られたらしい――アーサーは、グラスを手にした姿勢のまま机に突っ伏して眠りに落ちている。見た感じ、そう簡単には目を覚ましそうにない。
 ジーンはアーサーとトレヴァーを交互に見やって、それから声を潜めて言う。
「トレヴァー……。アーサーに何を飲ませたんだ?」
「特製カクテルだよ。調合は秘密」
「薬でも入ってるんじゃないだろうな」
「身体に極端な悪影響を及ぼすものは入れてないと確約するよ」
 薬を盛ってない、とは一言も言わない辺りがトレヴァーらしいといえよう。
 トレヴァーは自分の分のグラスに琥珀色の液体を注ぐ。そして、酒瓶を振ってジーンに示す。
「ジーンもいるかい? こっちは普通の酒だけど」
「では、いただこうか」
 ジーンは自分の分のグラスを差し出す。今までアーサーと一緒に飲んでいた、というよりも「飲まされていた」のだが、アーサーの話を聞かされてばかりで満足に酔えていたとは言いがたかったから。……そもそも酔うために酒を飲むということ自体、ジーンの本来の宗旨には反しているのだが、今日はそういう気分だった。普段は人と飲もうとしないトレヴァーが誘ってきたから、ということもある。
 ジーンのグラスにも、琥珀色の液体が注がれて。二つのグラスがふれあい、小さく音を鳴らす。
「それにしても、アーサーは懲りないね。そんなに女に貢ぐのが楽しいのかな」
「何も貢ぎたくて貢いでるわけではなかろう。……人の気を引くのにそういう方法しか知らない、というのはあるかもしれないが」
「ボクには到底理解できないね」
 それは理解できないだろうな、とジーンも思う。ジーンとて、アーサーの女好き――というには少々切実にも感じられるその性質を、きちんと理解しているわけではない。そして、トレヴァーはそのアーサーとは対極にいる人物である、と思っている。
 トレヴァーはしらじらとした指でグラスを持ち、一口琥珀色の液体を口に含んでから言う。
「人と一緒にいたところで、孤独が癒えるとも限らないのにね」
 むしろ、孤独が深まることすらあるというのに。トレヴァーはそう言って笑うのだ。
 ジーンはそんなトレヴァーに頷くことはできない。できないけれど、トレヴァーの言い分もわからなくはなかったから、頷く代わりに問いを投げかける。
「トレヴァーは。……孤独を感じているのか?」
「感じているとも。でも、そんなもの、誰にだってあるものだろう?」
 そう言うトレヴァーは、細めた瞼の下からジーンを見つめる。トレヴァーの目の色はいつからか退色を始めていて、今やうっすらとした色しか瞳に宿っていない。
「ああ、でも、孤独を忘れる瞬間というのはあるよ。ボクの場合、それは船に乗っている間でね。『ロビン・グッドフェロー』と溶け合って、混じり合っている間だけは、いつも曖昧に世界とボクとを隔てている膜のようなものが取り払われる気がするんだ」
 溶け合って、混じり合っている。極めてトレヴァーらしい表現であり、実際にトレヴァーの体感を表しているのだろう、とジーンは思う。翅翼艇との同調の感覚は人それぞれで、トレヴァーにとってはそう、という話。
「そういう意味では、ボクは孤独ではないのかもしれない。ボクにはロビンがいてくれるからね」
 それはとても幸せなことさ、とトレヴァーは言う。船と自分だけで完結した関係性。それがトレヴァーの理想に限りなく近い関係性であることを、ジーンは彼の普段からの立ち振る舞いで思い知らされている。
「かく言う君はどうなんだい、ジーン。君の孤独はどうすれば癒えるのかな」
「私が孤独に見えるのか?」
「見えるさ。ボクよりもずっと孤独に見える」
 でも、それはボクの感覚だからね、とトレヴァーは大げさに肩を竦めてみせる。
 ジーンはその言葉に何も言うことができないまま、眠り続けるアーサーにちらりと視線をやる。アーサーはもちろん何も語らなくて、ただ、その在り方だけがジーンの意識の中に焼きつく。
 アーサーは手探りをするように他者を求める。
 トレヴァーは自己の中である意味では完結している。
 では、自分はどうなのだろうか。
 果たして孤独であるのだろうか。
 孤独であるとしたら、どうすれば癒されるのだろうか。
 そもそも、癒されたいと願っているのだろうか。
 ――いくつもの問いかけが混ざり合って、答えが出ないまま、ジーンはグラスを傾ける。熱を帯びた感触が、喉を通っていった。
 
(夜の霧航士宿舎、談話室にて)

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青波零也
あざらしの餌がすこしだけ豪華になります。