Novelber2020/04:琴
翅翼艇『エアリエル』と同調した瞬間、ゲイル・ウインドワードの世界は音に満ちる。
風の歌に合わせて翅翼を震わせれば、誰よりも速く誰よりも高く、青い船が霧の海へと舞い上がっていく。凪の静けさ、嵐の大音声、何もかも、何もかも、ゲイルが自由に海を飛ぶために必要な音色だ。
そして、もうひとつ。
ゲイルがこの海に存在し続けるためには、どうしたって聞き違えるわけにはいかない音色がある。
それは、酷く張り詰めた弦に似た、音色。
今にも弾けてしまいそうな、けれどほんの微かに響くばかりのそれを、ゲイルの耳――現実に鼓膜を震わせているわけではないのかもしれないが――は確かに捉えていて、副操縦士として『エアリエル』の感覚を通して辺りを「視て」いるはずのオズの声がそれに被さるように響く。
「ゲイル、来てるぞ!」
「わかってら!」
そう、「わかっている」。
音が聞こえてくる方角を確かめて、身体を捻るように意識することで、ゲイルの意識と限りなく同調している『エアリエル』にも同様の動きを取らせるのだ。
刹那。
今にもはち切れそうな弦の音が。ゲイルの耳にはそのように聞こえる、白い衝撃が。一瞬前まで『エアリエル』のいた場所をなぎ払っていた。ぎりぎりのところでかわした衝撃が、船体を通してゲイルの肌をも震わせる。
『はずしたか!』
舌打ちと共に通信回路に響くのは聞き覚えのある女の声。オズの分析を通してゲイルの視界に映し出されたのは、霧の中を疾走する白い鎧兜の機関巨人だ。
――『戦乙女』。敵国たる帝国の汎用人型兵器。それが、ゲイルの耳にだけ聞こえる張り詰めた弦の音色を伴って、高速機動中の『エアリエル』に並走しているのだ。
ゲイルは口元に笑みを浮かべて、通信を開く。
「よーう、戦乙女の……、誰だっけ?」
「『ロスヴァイセ』だ。いい加減に覚えろ」
返事をしたのは白い鎧兜の戦乙女ではなくオズだった。ゲイルは「ロスヴァイセ」という耳慣れない――オズの言葉を信じるならば何度も聞いたはずだがどうしても思い出せない――それを口の中で呟いて、それから口元の笑みを深める。
風の歌と、限界まで張り詰めた緊張の音色が、背筋を震わせる和声を奏でる。
「飛び狂い」ゲイル・ウインドワードは何も戦いを志向するわけではない。けれど、この音色はやみつきになる。誰よりも速く、誰よりも高い場所で誰かと踊るのには、最高の音楽だと思っている。
だから、今日もゲイルは高らかに吼えるのだ。
「なあ、ロスヴァイセ! せっかく一緒に飛んでるんだ、もっともっと楽しもうぜ!」
(霧惑海峡上空にて)
あざらしの餌がすこしだけ豪華になります。