アドボカタス『頂の先に』
『送信履歴』毎回読み切りのスピンアウト ~readerのボランティア 10~
ワタシはreader。
読み上げる人。
訳あって、ボランティアでアドボカタスをしているの。
アドボカタスとは代弁する人。
ワタシなりの解釈では代筆ならぬ代述する人なのだけれども。
言いたいのに言えない人、伝えたいのに伝えられない人、届けたいのに届けられない人、そんな人って思いのほか、たくさんいるのよね。
私はそんな言葉にならない言葉を読み上げる。
ふり返れば、この会社ひと筋。右も左も知らない現場の営業まわりで、どれほど安い頭を下げてきただろう。
開拓した顧客と角のとれたつきあいが始まると注文が一気に増えた。
数字があがれば大樹も顔がほころぶ。勇んで上司に報告すると受注は製造ラインに引き継がれ、成績が積みあがっていく。推移は社員おのおのの専用パソコンに表示される仕組みになっている。いわゆる営業成績ってやつを確認できるわけだ。
ある時を境に大樹がトップを独走するようになった。大手フランチャイズ展開グループが自社製品を大量に仕入れてくれることになったからだ。
しかも話はそれだけに終わらない。
「ぜんぶ、君のところを通すからさ」
宮前の言っている意味がわからなくて大樹は当惑してしまう。宮前の提案はあまりにも荒唐無稽だったからだ。
意図がわからず困惑顔を浮かべていると、「他社製品もお宅の会社に仕切ってほしい、そういうことだ」と澄ました表情で宮前が同じ意味を重ねてくる。同業他社の製品をすべて仕切れ、大樹が自分が理解しやすいように変換した。
理解するのに、いくつもの計算式が去来した。うちの会社だって、弱小文具メーカーと比べれば大きいほうだ。だが大手と並ぶと吹けば飛ぶような会社でもある。
その大手を含めての仕切り話は、野心が顔をのぞかせ垂涎の魅力を持ちかけてくる。一方で「足るを知る」から逸脱した高望みは、いずれ足元を掬われるのではないかという不安を募らせる。
それでも欲の魔力は駄々をこねる赤子を黙らせる力があった。取りまとめた先に待つのは、他社からちょうだいできるロイヤリティ。自社製品の安定した仕入れにプラスアルファ、といっても膨大な利益が加われば、会社にも貢献できるし自分の株も上がる。
美味い話をそのまま上司に相談しても、おそらくいい顔をされることはあるまい。にわかには信じがたい話には裏があると勘繰られるのオチだろう。
ところが、だ。我が社が大手文具メーカーに話をすれば門前払いにあっても不思議はないが、圧力をかけるのは中堅文具メーカーであるうちではない。あの、全国にフランチャイジーを展開する『エンタテイメント・パブリッシング・クラブ』、通称『EPC』だ。
全国に展開するフランチャイジーは優に100店を超えている。しかもそのすべてが大型複合店で、昨今では学校の購買部にも幅を利かせているとニュースが報じていた。動く金額を考えれば、プレッシャーをかけてもはじき返されることはまずありえない。
捕らぬ狸の皮算用をはじいてみると、他社からのロイヤリティだけでうちの製品納入額を軽く上まわる。経営陣が首を縦に振りにくいいちばんの事情がここにありそうだった。いわゆる老舗が集まって作り上げた業界に、ある会社が旋風を巻き起こして業界をかきまわしたとなれば、存続をかけた抗争に発展しないとも限らない。抗争は大げさにしても、これまで杭を出しすぎず引きすぎず、均衡を美徳して祀り上げてきたような業界が指をくわえて静観するとは思えなかった。波風はたてても隣人に睨まれずにすむ程度に。これが文具業界の暗黙の了解だったからだ。
その「仲良しごっこ」で「仕事をしていく気はさらさらない」と宮前は断言した。
果たして業界のしきたりが押し切って延命するか、風雲児の勢いが旧態依然を席巻するかの真っ向勝負である。
文具業界は今現在2兆円規模。宮前の起こす旋風はおそらく業界を活性化させるだろう。現在の77位というランキングも、活性化で上昇していく可能性もある。夢は次第に光度を増していき、思いは競合他社への具体的アプローチにおよんでいた。
「代行仕入れに賛同していただければ、御社の営業経費を大幅に軽減できます。働き方改革でもなかなか減らない営業職の労働時間をデータ化により解消に向けて段取りを組むことも可能になってきます。経費を捻出していただきたいと言っているのではありません。今現在固定費としてかかっている分をロイヤリティに組み替えていただくだけでいいのです。
業界も活性化していくはずですし、余剰人員に頭を悩ませるのではなく、浮いた労力を新規開拓にまわしていく、そう考えれば業界の発展を共に考えていくことができるのです」と。
難所は業界最大手であるヨスコ文具との交渉であることは最初からわかっていた。ヨスコ文具は取り扱い商品の幅も文具から事務用機器までと広く、内装デザインを手掛けるなど文具一辺倒の企業ではない。所帯が大きい分、売り上げ規模もシェアも圧倒的だが、その分プライドもメンツも際だって高い。EPCにおける文具の販売シェア10パーセントをぶつけても、ヨスコ文具がどのようにとらえるかは未知数だった。そう簡単に「はい、そうですか」と乗ってはくるまい。うちの持ちかけた話に調子を合わせてきたとしても、おそらく上辺だけで、腹の内では違うことを探ってくるやもしれぬ。逆転の機をうかがうとすれば、最大のリスクともいえる敵対的TOBがその最有力候補か。資金にものをいわせ公開株式を一定数取られてしまうと身動きが取れなくなる。会社法の下、年1の総会で株主に提案する“特別決議”に対して拒否できる権利を得てしまうのだ。取得株式の3分の1。これは会社のフットワークを左右する株式比率の分水嶺であり、悪意で利用されると総会はおろか企業運営にきたす支障は甚大だ。さらに株式比率が過半数を超えると、もはや有無を言えぬ子会社化が待ち受ける。
関連会社化、子会社化が現実味を帯びてくると、経営陣、ひいてはオーナーの意志に委ねなければならなくなるだろうが、最近、社長が後継者の適任不在をこぼしていたという噂を聞いた。個人的には不本意ではあるが、斜陽するくらいなら高値で株を売り切ると判断しないとも限らない。
自分としては、ここまで育てた創業者だもの、愛着をもって存続をかけて戦ってほしいものだと大樹は考えていた。
同業他社にコミッション話を持ちかける前段階だというのに、大樹は自社の先行きを心配をしながら、場合によっては我が身の振り方も考えなければならないと気が早い。
同時に、これだけ大きな博打が今まさに我が手中に転がり込もうとしている現実に、大樹の心はこれまでにないほど浮足立ってもいた。
一生に一度できるかどうかの経験をしたいがためばかりではない。会社のため、ひいては社員のためにもなる。TOBが成立すれば日々の不満のタネ、薄給も改善され、業界トップの水準に近づくことも考えられる。みんなが幸せになるための労ならいとわない、交渉事ならまかせてほしいと大樹は腹に力を入れた。
給与水準が上がれば、所帯持ちが2間の木造アパートから新築販売物件のマンションに引っ越すことも夢ではなくなる。
乗り越えるべき障壁は大きい。これまで自社製品の販売だけでこつこつやってきた我が社が、他社製品の取りまとめ業務を行うことを経営陣が承認させるにはどうすればいい?
宮前とは、入社したてのころ営業先の老舗文具店で仕入れ担当として知り合った。部下上司との接し方、係長という肩書き、ばりばりと仕事をこなし判断も的確、その伝達具合などを総合的に鑑みると歳は30歳を超えたあたりか。だとすれば俺より10歳ほど年上のはずだと大樹はふんでいた。
社の指令で自社製品の売り場面積拡大を指示されていた当時、営業担当者はそれぞれ鋭意努力し営業先への日々で靴の底と神経とを削っていた。そうした奮闘のさなか、大樹は一方的にお願いするだけの営業に疑問を抱いた。おそらく競合他社も同じように顔を売り頭を下げるセオリーにのっとった営業をしているはずに違いない。ライバル会社も、他社の浸食をおいそれと許すはずはない。力と力のぶつかり合いになったら? 企業のネームバリューが最終的にものをいう。勝負が名刺の看板におよぶと、分が悪くなってしまうのだ。
だから大樹は売り場に足繁く通い、客足を観察し、商品陳列の最適化というほかの営業が思いつかないような方法はないかと考えた。情報を集め考えに考え抜いた末、考えうる手法の最適を練り出し、企画書に起こして宮前に提出した。描いたビジョンに、自社製品、他社商品の区別はなかった。あくまでも客本位、老舗文具店をわきまえたアイデアとしてまとめた。
もちろん大樹も一介のサラリーマン、自社製品陳列部分は赤線囲みで強調し抜かりない。
熱意を宮前が買ってくれた。
その宮前の姿がある日消えた。後任に訊いたら大手企業に引き抜かれたという。
せっかく手応えをつかみはじめたところなのにと大樹は下駄を外された気分になった。
その宮前が、大樹のケータイを鳴らした。
「仕事の話ですか?」、にわかに大樹が嬉々とする。
「そうだ」、宮前の返答は相変わらず力強く小気味いい。
「で、どこにいるんですか? 転職されたことは聞いていたのですが」
「悪い、割と急だったもので連絡が後手にまわった。今EPCにいる」
耳にした大樹は仰天した。飛ぶ鳥を落とす勢いのあの成長著しい企業である。「そこで文具の仕入れを任されることになった」と宮前が続けた。
宮前は「文具売り場総合コンサルティングとして機能してくれないか」と大樹に尋ねた。宮前が新天地から大樹に白羽の矢をたててくれたのだった。
宮前は今でも仕入れの責任者としてその手腕を遺憾なく発揮し、彼のおかげて積み上げられた実績で大樹はとんとん拍子に係長、課長、部長を経て役員に大抜擢された。この15年、馬車馬のように働いてきた。馬車馬のように働いている時ほど充実した時間はなかったし、宮前の厚意に支えられてきたからこそ実績を伴った充実の15年が過ごせたといっても過言ではないだろう。
大樹は、宮前に育ててもらったも同然だと心底感謝していた。宮前には返せないほどの恩と借りがある。まさに足を向けて寝られない存在として君臨している。
EPCと仕事を始めてからしばらくすると、懸念していた敵対的TOBが仕掛けられた。
あの時、売って花道を飾るか社員の生きる道に責任を持つかの選択に迫られた社長は、躊躇うことなく買収には応じないと宣言し、ヨスコ文具からのオフォーを新聞、Twitter、、自社ホームページ、雑誌広告、使える手段を駆使して批判し続けた。自社株の買い上げに奔走し、大樹が提言した社員による持ち株制度が決議決定、機能し始め、想定以上の結果を出したこともあって、ヨスコ文具は荒げていた鼻息を次第にしぼませていったのだった。
大樹は自社株を率先して買った。自社に賭ける意気込みの表れでもあった。役員への抜擢は、そのバックボーンも少なからず関係している。
現在の仕事は、社の方針を決めその段取りに奔走すること、それと営業ラインの管理全般である。製造ラインの役員ともうまくやってはいるが、EPCとの取引が始まって以来、それまでほぼ対等で均衡がとれていたふたつのセクションの立場に変化が生じ、製造ラインが負わなくてもいい負い目を感じているようで、それが最近気にかかってしかたがない。ほかにも見渡せば改善すべき点、大胆なメスを入れなければならない箇所はあるが、それでも売り上げ増が功を奏し、所帯持ちが中古マンションを買えるくらいまで給与水準を引き上げられたことは喜ばしい通過点ととらえてもいいだろう。
思えば役員になるまで俺は、がむしゃらでやってきたなあと大樹はしみじみと思った。とにかく走って走って、疲弊することなく突っ走って今日まで駆けてきた。
今はどうだ?
昇りつめた先で大樹は不意に立ち止まってしまったような気がしてならなかった。目指すべきゴールをクリアし続け、たどり着くべきところまでやってきたような気がする。見渡しても次に目指すゴールがない。目的地を見失った気球のようにただ宙に浮かんでいるだけのように思われた。
与えられた役割以外、何をしていいのかもわからない。だるま落としが最後のピースを残し誰からもそっぽをむかれた、そんな気分だった。
今の大樹には、かつての上司が広げてくれた手のひらはなく、宮前のように暴れまわるフィールドを用意してくれる者はいない。
頂点に立つ。それは孤独になることと同義だった。
大樹は、これまで“人に動かしてもらっていた”ということを初めて意識した。小高い丘のような頂点であっても、その上に立てば先に昇るべき道はない。
社長に「経営者というものは暴風雨の矢面に立っているようなものだ」とかねてより聞かされていた。TOBひとつとっても、経てきた苦労は並大抵のものではなかったはずだった。その社長が盾になってくれているから、俺はのほほんと孤独を憂いていられるのかもしれない、と大気は感じていた。「追われればきっと追い立てられて、憂いていることなどできなくなるだろう。
そう、追われれば、考えなければならないこと、結論を出さなければならない事態に瞬く間に支配される。つかみどころのない宙にぼんやりと浮かんでいるわけにはいかなくなる。
頂に立った今、大樹はつかみどころのない宙をぼんやりと眺めることが多くなった。気持ちはさらなる高みに向かうフックを探しているのに、見つからず、呆然としている。
何もないはずの宙に、左右に広げた手を大樹は伸ばした。次なる一手のフックがどこにあるのか探るように。息を深く吸い、その息を静かに吐き出してみた。空気が濃淡を描き、その隙間から新しい手掛かりが出てくるのを待った。だが伸ばした手にふれたのは、漂う空気の塊だけだった。
言葉が届けられたような不思議な感触を大樹は感じた。その感触は耳元をかすめ、すぐに消えてしまったけれども。
大樹は、感触がふれていった頬に手のひらをあててみた。いつもどおりの、とはいえ年相応に弛みのでてきた頬だった。
感触はreaderの囁きだった。
枯れてしまうには早すぎる。大丈夫。あなたをこれまで以上の試練が襲うわ。
今しがた社長の心中を読んたばかりのreaderが大樹に告げている。
その試練とは会社の危機的状況。そうなればあなたの憂いはたちどころに旋風にさらわれる。
黄昏は束の間の休息。
あとになってあなたが未来から懐かしむ時間。
すぐそこに、血沸き肉躍る時間が口を開けて待っている。そう、あなたの人生には躍動と前進こそがふさわしい。
大樹の目の前に朧な影が見えた気がした。それは小高い丘など比ではない雄大な連峰の最高峰のようだった。
この道に“才”があるかどうかのバロメーターだと意を決し。ご判断いただければ幸いです。さて…。