『令月のピアニスト』13/13 駅ピアノ
こんなところにも駅ピアノがある!
札幌雪祭りへの旅道中、新幹線からの乗り換えで新函館北斗駅で降りたった際、構内のグランド・ピアノが目に止まった。
「弾いたことある?」と円日が訊いてくる。彼女はグランド・ピアノを言っている。
「ないよ」、恐れ多くてそんな異次元には踏み入れない。
「弾いた弦が、子宮の奥に響いてくるのよ」
「子宮の奥? ぼくにはないからわからない」、マツを経由して任子も同じようなことを言っていたという記憶がよみがえる。
「私があなたを受け入れるように、あなたの中に私を受け入れる空間があるのよ。私がおさまっていないと心もとなくなるところ。そこに響かないのかしら」
奥さんがいてもかまわないと思っていたのよ、ベッドでこぼした円日が最近大胆になった。そそるのも巧みだし、誘いについ乗せられそうになって、結局は乗ってしまう。
「言っていることがわからない」とぼくは惚けてみせる。
「弾けばわかるはずよ」と、理解の領域を知らないぼくの手を取った。
「あなたが怖じ気づいているなら、私、弾いてみようかしら」と円日が突然に、冗談っぽく口にした。目を輝かせ、ぼくを挑発していることがわかる。
「じゃあ。怖じ気づいているから、弾かない」と、弾く気もないのに意地悪を口にする。それに円日は弾かない。これまであれだけ頑なだったのだから。絶対に。
「じゃあ? なら、私も。じゃあ、私、ほんとに弾く」
腹に力をこめた声が震えた。顔も真剣だった。これにはぼくも仰天させたれた。あれほど演奏を拒んでいた円日が、なぜ? 理解を演算で割り出そうとしたけれど、可能性のある領域にさえ行き着かない。
「本気?」、真剣に訊いてみた。
「3年ぶりだけど、今なら弾けそうな気がする」と彼女は本気を認めた。
ピアノを前にし、椅子に腰を落として高さをたしかめる。気持ちははやるのに体が一瞬拒絶したのがわかった。嫌なら弾くことはない、ぼくが強く念じると意を決した円日が鋭い眼光でぼくの思いをはね返した。
緊張が空気の比重を重くし、厳寒の冬、駅構内とはいえその寒さはヒーターの仕事をおさえこんでいるのに、高まる緊張が汗を誘い円日の額を伝っていく。行く手を阻む泥水をかき分けるように、手探りで昔の勘を取り戻そうとしているのがわかる。至難を極める作業をしているというのに、それでいて福音の喜びが円日の口元から漏れた。円日は、純度を欠き混沌が制御をかけてくる感情にこびりついた錆を落とそうとしている。笑みは勝算を見込んでのことか。それとも別のベクトルから何かしらの力が働いているからか。
円日が鍵盤に指を降ろした。
ぼくは、息を呑む。
最初の和音がダンパーで尾を引きはじめた。スローに流れはじめた和音はわずか数歩で立ち止まり、迷い振り返り、いちどはそこで終わってしまうかのように思われた。スプリンターの実力はいやというほど伝わってくるのに怪我から復帰したばかりで実力の半分も出せない、そんな陸上選手を思い起こさせる弾き方だった。
こんなんじゃない、こんなはずじゃない。円日の悔しくて辛くてうまくいかないことへの苛立ちと焦りがぼくに伝わってきた。技術的にすごいことは音の出し方で理解できるが千鳥足の演奏では中途半端感から脱せない。
悔しい、悔しくて情けなくて苦しくて、できないって叫んでしまいたい、逃げ出してしまいたい、あのとき逃げ出したように、円日がそう叫んでいる、硬く結んだ唇が、言いたいことを伝えてくる。
音は、よろめきながらも歩みを止めなかった。歩みは次第につながるようになり、散らばっていた音符が近づいては離れ、円日との距離を縮めていく。ばらばらだった音がつながっていく。指で弾かれて出てきた音が曲へ脱皮しようとしている。音は曲の体裁をつくりはじめ、場に出現して演奏者と一体になっていく。
音は渦を巻き流れが地球をめぐり、世界各国に向かっていった。音はどこまで届くのだろう? 思いを馳せた刹那、音が曲になった。触手ははるか遠く、ドイツのケルンに届いた。指はキース・ジャレットと化し、オペラハウスで演奏された楽曲をたぐり寄せている。音は伸び、ふくらみ、厚みを持ったあとで絞られていく。
こんな広がりのある音を、どうやれば出せるんだ? 経歴の厚みが違うぼくが、敬意を払いながらも驚きに呑まれていく。
円日はかつて「たいがいの曲は、いちど聴けば再現できる」と言ったことがある。
「探り弾きなしで?」
「そう」
まさか、冗談、ぼくは言って笑った。それができたらすごいことだから。
円日も、そりゃそうよねと言って笑った。だけど冗談は、できないと答えたほうにこそ当てられていたのだ。
最近、ノウムのことを考えなくなっていたのは、この日の伏線だったのかもしれない。地中深くに眠る財宝を守り切れず流出してしまう事態を察知したノウムが、早々と引き上げてしまったというわけだ。才能はぼくにではなく円日のほうにこそあった。
ザ・ケルン・コンサートの『PartⅠ 』はエンディングを迎えることなくボレノ・ジャズ・アレンジに風に移行していった。ヨーロピアン・ジャズ・トリオの1曲だ。それもまた終わることなく違う曲に出会い混ざり溶けていく。『エリーゼのために』のサビを弾いたかと思うと、今ではフランツ・リストの『ラ・カンパネッラ』になっている。ピアノの弦が鐘を鳴らす。強く弱く左右の腕が残像を残しながら交錯し、鐘の音を出現させていく。行き交う旅行者が足を止め、聴衆となって音に呑まれ息を飲む。驚きが体に溶け込み陶酔に変わっていくのがわかる。
かつてガガーリンは「地球は青かった」と宇宙からメッセージを送ってきた(正確には「空は極めて暗く、かたや地球は青みがかっていた」と言ったらしい)。ぼくは漆黒の闇に白く浮かびあがる月を想像してみた。そしてそこから望む地球を思い描いた。地球はやはり青く輝いている。なのに地上にいるとその青さになかなか気づかない。青の構成要素はおそらく眠るようにナリを潜ませているのだ。その眠っていた地上の青い粒子が音に驚き目を覚ます。そして振り下ろされた曲のひと太刀で舞い上がって踊り出し、円日を、観衆を取り巻き、抱擁しはじめた。
誰、あのひと? 著名なピアニスト? と蒼白なまでに研ぎ澄まされた音色に胸をときめかせた聴衆のひとりがつぶやいた。
円日の演奏はまだつづいているというのに、演奏後に彼女と交わしたことばがぼくを襲う。楽曲は時を超え魅惑の引力で人を結ぶ。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンやフランツ・リストが、キース・ジャレットが即興で演奏した1975年と今日も時空を超えて結びつくように、円日の演奏と演奏後に交わしたことばとが絡みあってくる。
「あなたにスポットライトが当たっていたのが見えたわ」
「あれだけ演奏に集中していたのにぼくが見えたっていうのかい?」
「見えていたんじゃない。見ていたのよ」
「まさか」
「本当よ」と信じないぼくにぷんと冗談ぽく怒ってみせ、それから「たぶん」と目を伏せ寂しさを表した。
『ラ・カンパネッラ』で円日は演奏を切った。20分間ぶっつづけで演奏した。手の甲で額を拭うと、汗を含んだファンデーションが手の甲に移った。
はち切れんばかりの拍手、アンコールの声さえあがっている、それを円日が両手のひらをひらひらさせてなだめた。それは、赤く染まった興奮の波と鋭角で硬質な黄色い声援を鎮めるための円日の声には出ない無言の呪文--指先からあふれ出る青い粒子が色とりどりの個々の人たちの頭上に分け隔てなく降り注いでいる、そんな光景だった。
手馴れたものだった。円日は、親の期待値以上の実力を秘めた真の音楽家なのではなかったか。
聴衆からの讃美を落ち着かせると、円日がこほんと可愛らしい咳をする。それから口だけを動かし、静まり返った会場に「ありがとう」と言ってみせた。
間を置いて、聴衆の気持ちの揺れが鎮まるまで待っていることが伝わってくる。塊となった観衆を前にこうしたゆとりの呼吸を置けるのは天性の資質かもしれなかったが、場数の豊富さが働いていることも関係しているはずだった。彼女の経歴はぼくには測り知ることはできない。そしてどれだけの賞賛を浴びてきたかも。
「たくさんの拍手をいただけて、とっても幸せです。こんなに幸せって本当に久しぶりです」と言って深々と頭を下げた。
それから「もう少しピアノをお借りしていいですか?」と尋ねている。いいも悪いも聴衆はそれを望んでいるのだ。そんな訊き方があるかと、頼もしさを含んだ呆れ顔を向けたのも束の間。「つづいて私のだあいすきな人が『月光』を演奏します」と聴衆に笑顔を投げた。
え。お、おい、ちょっと待てよ。それって、その大好きな人って、ぼく、かあ? 肝が氷点下まで下がり、冗談にしてはふざけすぎだと呆気を吹き飛ばして憤りが湧いてきた。
観衆の波が割れ、ぼくに花道ができる。円日に向けられた拍手に負けず劣らずの熱く厚い拍手がぼくを包み込む。
「ああ、あなたといるとピアノは楽しい。私、ずっと損をしてた。ピアノが嫌いだったことを言っているんじゃない。あなたと早く巡り会えなかったことが。あなたと会えて、嫌いだったピアノが嫌いじゃなくなったんだもの。私はあなたが弾くピアノが好き。嬉しそうに弾いて、つまずいては悔しい顔になって、じょうずに弾けたときに弾ける顔が無垢で素敵で。はじめはピアノのどこがそんなに楽しいのか、不思議でならなかった。でもね。プロになって聴かせるのを強いられると辛くなるけど、弾くのが楽しいピアノを聴くのって楽しいものなのよ。あなたに教えてもらったことよ。そうこうしているうちにもうひとつ気づいたことがあるの。ピアノを楽しんでいるあなたが、もうひとつ違った喜び方をすることがある。なんだかわかる?」
ぼくはわからないと答えた。
「私があなたの演奏を聴いているとき、あなたはやさしく私を包み込んでくれていた。私を包んでくれるときも、あなたは楽しそうにしているの」
なぜこのタイミングでそんなことを言う?
「子宮に響く共鳴を感じてきて。みんなに聴かせるんじゃなくてよ。私だけに聴かせてほしいの。あなたの中の私の居場所、その子宮で感じてきてほしい。私はあなたに聴いてもらうことで楽しませてもらったわ。もう、最高なきぶん。だからあなたにもわかってほしいの。もっと共鳴するために」
グランド・ピアノだからそう思ったの?
かもね。
時空の前後がでたらめにつながってぼくの頭の中で反響している。いつだったか、裸で抱き合ったとき円日が発したことばがふと心に湧いた。
「マドカっていう名前はね、太陽をイメージしてつけたんだって。父がそう言っていたの。でも私には、いつでも太陽でいなさいって言われているみたいで辛かったんだ。だって、母が私をプロのピアニストにしようとしていて、それと重なってしかたがなかったから。太陽ってオブラートに包んだ言い方だけど、その実、束縛されているんだなって。太陽でいなければならないと思うたびに私から生気がしゅーって抜けていって虚脱感に襲われたわ。代わりにブルーな気持ちが体内に充満していったの。
でもね、ブルーって、奇跡のカラー属性だってことがあるときわかったの。青は悪いことで生じる状況でもあるけれど、いいことの予兆でもあったのね。このことに気づいた私は、前に進めもしない道を捨て、自立して、田所さんと巡り逢えた。まさに奇跡が起こったのよ」
あのときは気にもとめず聞き流しただけなのに、今まさに顔面蒼白に堕ちたぼくに力を与えようとしている。青は力をくれる。今はそれを信じるしかない。信じることで円日が教えてくれた奇跡に導かれていくことに望みを託して。
ぼくは聴衆の拍手を一身に浴びてピアノに向かい、椅子を引いて腰を降ろし、円日だけに意識を集めた。彼女から淡い光の粒子の数々が発せられ、ふわふわと漂いながら場を埋め尽くしていくように見えた。
光は青みがかっており、地中に眠っていた青い粒子を刺激し引き出して、そうして混ざり合っていく。その溶けるように絡まり合った青い粒子群が広がり、ぼくをやんわりと包み込んでいった。
円日に奇跡を起こした青。その奇跡にすがるように身を委ね、最初に鳴らすべき音をたしかめてからぼくは静かに指を鍵盤に降り降ろした。
(完)
この道に“才”があるかどうかのバロメーターだと意を決し。ご判断いただければ幸いです。さて…。