アドボカタス 『言葉は表層』
『送信履歴』毎回読み切りのスピンアウト ~readerのボランティア 5~
ワタシはreader。
読み上げる人。
訳あって、ボランティアでアドボカタスをしているの。
アドボカタスとは代弁する人。
ワタシなりの解釈では代筆ならぬ代述する人なのだけれども。
言いたいのに言えない人、伝えたいのに伝えられない人、届けたいのに届けられない人、そんな人って思いのほか、たくさんいるのよね。
私はそんな言葉にならない言葉を読み上げる。
私は言いたこと、言わなければ言わないことをこれまでちゃんと口にしてきた。
「男子たち、掃除サボるつもりならこれから先生に言いつけに行ってやるんだから」
「この勉強法で志望校に入れるとはとうてい思えません」
「私は可愛い女子社員を演じるつもりはありません。本気でやるので腰掛けと取らずにバシバシお願いします」
「先輩、会社のボールペンも持って帰れば横領ですよ」
「あんたねえ、新人だからって甘えてんじゃないわよ。与えられた仕事くらい責任をもってこなしなさい」
事件と呼べるような惨事・珍事も起こらず三十路を超えた今でも言いたいことはきちんと口にする。自分に嘘をつかない生き方は芯として確立されたし、ストレスを溜めないいちばんの方法だと信じていた。
でも、いつからだろう。直感や思慮を口にしても、なんていうか、喉から肚に落ちていかない。言いたいことを話しておきながら、言葉にできない言いたいことが内に溜まっているような気がしてモヤモヤする。
「言いたいことが喋り切れていない」と私は口にする。
少し楽になる。
だけどしばらくするとモヤモヤの泥水が地表に滲み出て不快が広がる。モヤモヤは解消されたわけではなく、誤魔化しただけだということに私は気づく。
言葉って難しい、で済ませたくない。まやかしの誤魔化しは私にふさわしくない。だからもう一度考え直してみる。
「どうして言いたいことを表現しきれないんだろう?」
言葉はね、とreaderが言いかける。
readerの語りかけに“私”は気づかない。
表層なの、とreaderが続けた。
それも“私”に届かない。
ただ、モヤモヤとしたものが広がっただけ。
人生の軌跡を振り返ると、そこには一対の靴の跡がとぼとぼと続いていた。引きずっているわけでもなく、踊っているわけでもない。淡々と我が道に記されている。
大地は白くさらさらだった。きめの細かな貝殻を砕いたような砂。風に誘われればしおれてしまいそうな粒子なのに、なぜか足跡だけがインクのように明確にゆるぎなく刻まれていた。
私は自分の足跡を、不確実な時代の着実な歩みの象徴だと捉えた。たとえ足場が悪くとも、私は私を確固たる存在として刻みつけてきたのだと。
でも、どうして?
前を向けば光を受けていられる。湧水が大地を湿らせ、くゆらぐせせらぎが陽光に跳ねる。芽が伸び花を広げる。誘いの手は前へ前へと導くばかりで、過ぎたことに責任は負わない。
不安は、目の前に広がる陽と背後の陰とのかけ離れ過ぎた落差。
そこに気づいているのなら、とreaderが語りかけた。
私はその落差に気がついた。
気がついたはいいものの、ガラスの壁に阻まれたみたいに私はその先に進めない。瞬間冷凍機の門を通り抜けたあとみたいに私の思考が凍りついてしまった。
言葉が出てこない。口にすべき言葉が何ひとつ浮かばなくなった。
人は、とreaderが言葉にできない言葉を綴り始めた。言葉にできない言葉は、記号化できない意味。言葉はいつだって意味の表層を撫でるだけで意味とは別ものなの、本当はね、とreaderが続けた。言葉は、意味に踏み込む資格を持たない。意味を顕す光の反射のようなものでしかないからだ。
readerの譜(うた)は表層に顕われることはない。内側の意味に語りかけるだけだ。
釈然とした生き方が私の在り方。そう自分に言い聞かせていた私が、なんとなくわかる、と口にしていた。なんとなく。なんと曖昧模糊で釈然としない在り方。
だけど、なんとなくわかった瞬間、振り向いた過去の出来事が、ヴィジョンとして浮かんでは次々と別のシーンに切り替わっていった。
それらはどれもが言葉にできないほど内在的で膨大で感慨深くて慈悲的に見えた。
言葉の楔を盲信するあまり、一方で私は内部たる意味を蔑ろにしてきたのかもしれない、と思った。言葉はいつだって定義し切れないほどの意味を内在していたのだ。いや、正確には意味の断面のさらにその一部を捉えて、わかったつもりになっていただけだ。
往く道の光が色彩を変えたような気がした。多彩な光は過去にも届き、振り返れば砂漠が豊穣に彩られていた。