うっかりの功名 初めてのひとり旅で得たもの
社会人になって初めて取れた夏休みに、私はサバイバルの危機に立たされていた。というより、その状況に追い込んだのは紛れもなく自分だった。
日本とは違う世界を見たいという好奇心から海外へと思ったものの、予定が合う友人が見つからず、エイヤとひとりでタイ旅行に申し込んだ。往復旅券とホテルのみ、全日フリーの格安プラン1週間。社会人2年目の身にとっては大枚をはたいての特別プラン。やったぜ。申し込み当初はそう思っていた。
しかし、出発の日が近づくにつれ不安が襲う。ひとりで海外に行くのは初めてなのである。言語も勝手も違う、知り合いもいない国にひとりぼっち。トラブルにあったらどうする?いや空港からホテルまでたどり着けるかすらあやしくないか?事の重大さに気づき始め、ひとまず「地球の歩き方」を買った。本文はもちろんのこと、注釈含めて隅々まで読む。ページの断面が手垢で茶色くなるまで繰り返し読む。一冊の書籍をこんなに読み込んだことはない。受験勉強でもやってない。いややっとけよそれ、と思いながらタイの情報を頭に叩き込んだ。
迎えた「バカンス」初日早朝、私は軍隊の緊張感でフライトを待っていた。ここから先頼れるのは自分だけ。生存しなくてはならない。
タイに降り立ったその時、日本社会の縛り、仕事という義務、日常の人間関係から切り離された解放感、があったかどうか覚えていない。たぶん、ない。とにかく旅程を安全に済ませることに全神経を集中していた。自分は弱者なのだ。周りは強者だ。油断したら負けだ。そんな気持ちでタクシーを拾い、宿泊先を告げ、殺気とともに乗り込んだ。もう一度言いますが、これは夏休みです。
それだけ神経をとがらせていたのに、さっそく初日に騙された。
まずは1日かけてバンコク市内の寺院をまわる予定だった。タイの空気を吸い込みながら最初の目的地に向かってテクテク歩いていたら、パリッとしたシャツを着たおじさんから声がかかる。「この先の寺院に行くんだね、あそこは今日休みだよ」。えっそうなの?!「よかったら、君が行く予定の寺院とオススメのところをまとめて、安くでトゥクトゥクで周ってあげよう」。それ助かります、お願いします。
アホか、である。何が生存せねばならない、だ。
おじさんのトゥクトゥクに乗り風を切りながら、生還を誓った兵士は「地球の歩き方」を開く。すると読者投稿で構成されるトラブル事例に、ついさっきの一連のできごとがそっくりそのまま載っているのだった。『「その寺院は休みだよ」と嘘をつき声をかけ、適当にいくつかの寺院を周った後、お土産店のようなところに連れて行かれて買うように強要されるので気を付けて』。
兵士秒殺。笑うしかなかった。最初の目的地に着くなりおじさんに約束のお金を渡し、「あとはもうノーセンキュウ!!」と一言一句このままのセリフを叫んで、止めるおじさんを振り切って別れた。自らのヘナチョコセキュリティにガックリしながらも、それでもこの状況で「NO」を強引に通し切れる自分も知った。
2日目以降はケンカ腰である。軍隊の規律で動く兵士ではだめだ。対峙している状況と潜む危機を全身で察知し、即行動に反映させねば生き残れない。おうおうなんか文句あんのかと、自分のシマを荒らす輩にメンチを切るヤンキーのごとき精神に切り替え観光に向かった。
ヤンキーモードはなかなかいい感じであった。インチキメーターを搭載したタクシーのおじさんと喧嘩した。明らかに早いスピードで上昇するメーターを見て「おじさん、これおかしいよ」「もういいよ降ろしてよ」「そこで止めて。ストップ!!」。会話はすべて日本語だが、不思議に伝わるものである。
ちなみにその後拾ったタクシーは若い男の子が運転していて、ラジオから流れる宇多田ヒカルで盛り上がった。「いつか日本に行きたいんだ」と語る彼のタクシーにインチキメーターはなかった。いつか行けるといいねと言って手を振って別れた。
名だたる遺跡が点在するアユタヤにも行った。現地の人に混じってバンコクから電車で移動。駅前にレンタサイクルがあったので思い付きで借りた。おじさんが半笑いで渡してくれたのはピンクの自転車。なんというか、キティちゃんが似合いそうな、いわゆるザ・ピンクである。黒い普通のもあるのに、なぜそれなのだ。なんとなくおじさんの茶目っ気のような気もしたので、そのままピンクの自転車を受け取ってアユタヤを周った。今思い返すと、現地の人に「めっちゃピンクだワラ」みたいな目で見られていた気がする。灼熱の坂道をピンクの自転車で疾走する汗だくの異国人。そら見るわな。
そんなこんなで、オラオラヤンキー根性で武装して滞在したタイだが、基本的にトラブルは前述の2件くらいで、誰もかれも恥ずかしがり屋で優しかった。私自身もわりかし馴染んでいたようで、現地の人に道を尋ねられすらした。日本人向けのオプショナルツアーにも参加し、つかの間、安寧の時間も過ごした。
とはいえ最終日ともなると、貧乏を体力で補いサバイバルに神経を使いすぎてヘトヘト。ごはんを外に食べに行く気力すらなく、ホテルのマッサージに申し込んでみたら、施術してくれたおかあさんが「私には5歳の娘がいるの。髪を結うと喜ぶのよ」と、仕上げに三つ編みをしてくれた。あたたかい手にすっかり武装解除されてしまったジャパニーズは、最後の晩餐をルームサービスで奮発。食べ過ぎてお腹を壊し、トイレの往復でバカンスは暮れてゆくのだった。
タイからの出国手続きを済ませた時の安堵感は今でも覚えている。ちぐはぐに付けた鎧をやっと外し、一週間ぶりに体の力を抜いた気がした。
これは今からざっと15年近く前の話。あれ以来、ひとりであろうとなかろうと、物事に向かうときには自分ごととして準備をするようになった。そして、案外自分は強く主張できるのだということも知った。危険を察知する野生の勘は、観察と想像力から成るらしいことも理解した。
後先考えずに申し込んだ初めての海外ひとり旅。「うっかりの功名」とは言い過ぎかもしれないが、得たものは大きい。
年と経験を重ねるほどにアクセルよりもブレーキの効きが立つようになるけれど、今でも自分の中にはヤンキー魂が眠っていて、いざとなったらいつでも叩き起こせる気がしている。
ヘナチョコだけどもな。