【旅とわたし】自由と現実
社会人1年目の5月。GWの終わる2日前。私は一人、新幹線に飛び乗った。ただ、遠くへ行きたかった。誰にも邪魔されず、流れゆく時間を独り占めしたかった。もうすぐ現実と再び顔を合わせなくてはならない。自分の無力さ、未熟さを嫌がらせのように思い知らされる日々が待ち構えている。それならば、せめて今は好きにさせてほしい。誰にも邪魔されず、自分の思うままに生きる時間が、私を唯一生かしてくれるのだから。
行き先は京都。私がすごく行きたかった場所だ。何度か訪れてはいたが、行きたい場所には行けていなかった。座席に腰を下ろしたら、わくわくして顔がにやついた。あぁ自由だ。やっと流れゆく時間を独り占めできる。
新幹線を降りて、私は真っ先にバスに乗った。史跡巡りをするためだ。史学科に入るほど筋金入りの歴史好きで、京都のスイーツに数時間費やす暇があるのなら史跡を見て回りたい。高校2年生の修学旅行では抑え込まれていたその願望が解き放たれた。金閣寺に銀閣寺、晴明神社、縁切り神社。祇園の街を早足で通り抜け、気が付くともう夕暮れになっていた。今回の旅は一泊二日。明日の午後には帰らなくてはならない。現実の重い空気が一気に襲いかかってきた。ホテルに着いてベッドになだれ込むと、悔しくて涙が出た。自分はなんて無力なんだ。自分を自由に生かすことすらできないなんて。
しばらくして、おなかの虫が構って欲しそうに鳴いた。夕食を取ろうと重い腰を上げると、青臭い絵が視界に入った。知らずに予約していたが、そのホテルはデザインホテルだった。名もなきクリエイターの作品が、その場に寄せ集まって暖め合っているのを見た私は、絵を描くのが何より大好きだった子供の頃の自分を想った。自分のやりたいこと、それは身を立てるにはあまりにもろいものだった。確実にお金を頂いて恥ずかしい思いをせずに生きるには、あまりにリスキーなものだった。でも、社会に出て、まだ始まったばかりなのに、もうたくさん恥ずかしい。お金もまだ稼げていない。私は何のために生きているのだろう。
様々な思いが胸の中を駆け巡り、私は思い立って外に出た。せっかく京都にいるのに夕食をコンビニで済ませると、ノートとペンを買った。そして、湧きあがったものを思いっきりそこに刻み込んだ。夢のような時間だった。生きていると思った。
いつのまにか朝になっていた。チェックアウトを済ませようと受付に向かったときに、ふと気が付いた。この自由も、普段自分を殺して作ったお金で手に入れたという現実に。また現実が口を開けて待っている。でも、これによって生み出されたお金で自由を手に入れられる。ありのままで、なおかつお金も生み出して自由になるなんて甘いのかしら。でも、もしそれが叶うなら、これ以上の幸せは他にない。ホテルを出て、京都駅までの道のりをかみしめるように歩いた。自分の生きていく道を、時間をかけて探していくという覚悟を胸に刻みながら。
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