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私が人前に立ち、自らの難病を話す理由 <その2>
前回は、私が講師依頼を受けて、企業の人事担当者の前で、自分の難病者、身体障害者としての体験を話し始めた経緯について書きました。
その中で、4年目あたりに、受障後の時間を「リハビリ歴」や「障害のある状態での社会生活歴」というキャリアの視点としてとらえたのが、大切な変化でした。
今回は、その後の気持ちの動きをもう少し書いてみます。
🔹転機となった心筋梗塞
障害者雇用の講座を引き受けて5年目、2018年の年末に、私は心筋梗塞で救急搬送されました。とても寒い曇り空の大晦日の午後、何の前兆もなく突然胸が痛み始め、救急車で運ばれ、緊急手術とCCUでの要看視下で年明けを迎えました。何の見通しもない時間の中、心室細動が続き、医師からも命のリスクの説明を受けていました。
その後、何とか危機を脱して、リハビリを含めて約3週間入院しました。毎日、病室の窓から冬の朝焼けの色が変わっていくのを、静かな気持ちで見つめていました。濃紺から橙色に変わっていく光の中で、凛とした空気と、生きている時間のまぶしさを全身で受け止めていました。(その時の日記と写真は、このブログの最初の方で公開しています ⇒『心筋梗塞入院日記①』)
入院していたため、年明けに予定されていた講義は、他の人に代わってもらいました。
退院後、何か月かが経ち、年度内に最後に予定されていた回に、再び講師として人前に立つことができました。その時には、生きて帰って来られたという実感がありました。
その回では、心筋梗塞の最初の胸の痛みのことや、後で自分で調べて知った「90分間のゴールデンタイム」(救命率が保てる心臓の血流再開までの時間)のこと等をたっぷり話しました。
この心筋梗塞で命の淵を見た体験で、「私は残された時間の中で何をしたいのか」を、はっきりと意識するようになりました。
最初の難病発症による入院の後から、私は何かの形で「誰かの願いを叶えられる力になりたい」と思うようになっていました。「私の命を、一番役に立つところに使いたい」と。
その望みが、もっと強いものになりました。「誰かの力になりたい。そして、人の心の中にでもいい、私がいた証を残したい」「私が生きていたことを覚えていてほしい」と。
講義に対するこのような個人的な動機付けは、特異なことなのかもしれません。個人的な動機で話すことが、求められたテーマにふさわしいのか、もはやよくわからなくなっています。
ただ、私の思いが伝わっていることだけは、感じられます。毎回、受講者の中に、一人、二人と涙ぐみながら聞いてくれている人がいました。私は、感じ取ってくれる人に向けて話していました。そして、受講者だけでなく主催団体の担当者にも、このテーマの重さを感じてもらい、私の生き様を見てほしい、と思うようになっていました。
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🔹毎回の一人反省会
同じテーマのプレゼンを、一年の間に繰り返し行うのは、あまり経験のないことです。たいていは、成功しても失敗しても、一回だけで終わるものです。だからこそ、ライブ感もあり良いのだと思います。
一方、この講座は、毎回同じテーマなので、繰り返しの修正ができます。そこで、この機会を活用して、細かい見直しをしたり、新しい要素を盛り込んでみたりしています。毎回の終了後に、一人で振り返りを行い、うまくいった理由、うまくいかなかった理由を書き出して、自分で検証作業をしています。
ロジックの修正、円滑に流れるような組み立て直し、スライドの削除と追加、各スライドのつなぎや導入の言葉の設定、曖昧な内容の精査、受講者の反応を見てのエピソードの数や内容の変更等を、毎回行っています。
また、話し方を意図的に変えてみてもいます。無意識に話し方が変わっていることもあります。難しいのは、ライブ感を持って話すことです。同じエピソードを繰り返し話す時には、自分の中では新鮮さを失いがちです。リアルに感覚を伝えるためには、「演者」ではなく、「私」が素の状態で感情表現をする方がいいのは確かです。そこで、フレッシュな気持ちで話すために、話したことがないエピソードに変えることがあります。また、肌感覚や体感覚を表す言葉を多く使うようにして、情景が思い浮かぶようにしています。
🔹毎回の気持ちの違いに気づく
毎回の一人振り返りの中で気づき、意外だったのは、毎回の私の気持ちの持ちようが、大きく違っていることです。
まず講座前。
なぜだか多幸感にあふれて、今日はうまくいく、と思う日もありました。逆に、人前で自分を晒すことが辛くなり、止めた車の中でしばらく泣いていたこともありました。この時はTwitterの闘病アカウントで弱音を吐き、いくつものいいね♡をもらい救われて、会場に向かうことができました。
たぶん、話す前の気持ちは、その頃の自分の気持ちのまとまり方によるのだと思います。
うまく自分が一つになっていて自分に自信をもって生活できている時には、落ち着いているのでしょう。
一方、体調をうまくコントロールできていない時や、病状悪化の不安を感じている時、実際に体調が悪い時、時にこの先の命を懸念している時。自分が人間関係や社会の中で何の役割も果たせていないと感じているような時があります。そんな時には、なぜ自分に好意的ではない社会に、自分を晒すことで対峙しなければならないのかと感じ、怖くなるのだと思います。
講義中も様々です。
意図したとおりに進むこともあれば、何らかの理由で打ちのめされて、かろうじて倒れずに立って最後まで話すようなこともありました。いったい何が作用して、気持ちや話し方に変化が生じるのでしょうか。
まず、私の気持ちの持ちように大きく影響しているのは、聴いている人と表情や関心なのだと思います。
受講者の中に涙ぐんでいる人がいます。
一方で、私の話にはまったく関心がなく、テーブルの下でスマホを触っている人や、眉をしかめているような人がいる回もあります。そういった人たちが一概に悪い訳ではなく、実務講座と聞いて受講している中、延々と自己紹介をされている状況では、早く本題に入ってほしいと思う人もいるでしょう。
ただ私にとっては、自分の弱さを含め心情を吐露し晒しているため、その態度はとても辛いものです。時に、やや過敏に、私の感覚や経験を全否定されているように感じていると思います。私は無防備に近い状態で人前に立っているため、ダメージを負うリスクが常にあるのだと思います。これが、近しい人が「やめた方がいい」という理由なのだと思います。
自分に好意的ではない人に、辛くなってまで自分を切り売りして提供する必要があるのか。必ずしも自分のことを話さなくてもいい状況下で、なぜ自分がそれを選ぶのか。
私は、今までその答えをはっきり意識できていなかったのだと思います。だから、辛くなり、葛藤していたのでしょう。
そう、私は「自分の命を一番役に立つところで使いたい」と思う中で、自分のミッションを見つけつつありました。
(つづく)
次回はこのことをもう少し書いてみたいと思います。そして、企業の人にどんなエピソードを伝えているのかの話に続きます。
(2回くらいで終わると思っていましたが、思いのほか長くなりそうです。読んで頂きありがとうございます!)
文・写真:©2022 青海 陽
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