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【心理リハ 闘病記】本『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒』江國 滋 著

手の中のページの厚みが、残された命の時間。終わらないでと思いながら…でも、読むのをやめることもできなかった。

真夜中、手の中のページの厚みが、その人に残された命の時間。終わらないでと、布団の中でうつぶせで読みながら思っていた。でも、言葉の力があまりにも強くて、読むのをやめることもできなかった。

言葉の一つ一つが、今語られているようにリアルに感じられるから、その人がいなくなってしまうことが、うまくのみ込めない。闘病記でありながら、あまりにも活き活きとした生が描かれていた。

読み終わった時、それが失われてしまったことに、何とも言えないやり場のない重い気持ちで身動きが取れず、しばらくしてそのまま眠ってしまったようだった。

一日経った今日、夜になってやっと思い返してみた。

改めて感じるのは、言葉があまりにもたくさんのものを残せること。その時の出来事、感覚、風景、空気、痛み、匂い、味、小さい喜び、思い。

俳句に込めたからなのか、散文には気持ちを書いた言葉が少ないのは意外だった。けれど言外には、言葉にはし切れない気持ちが滲み出ていて、直接言葉にするよりももっと、多くのことを伝えているかもしれない。

入院中に旧友が訪ねてきて、笑いながらたくさんの思い出話をして、エレベーターホールで見送る。親友の後ろ姿にあふれた涙。

外出許可で句会のシンポジウムに突然出席して、気丈に振る舞いみんなを楽しませた。幕間の舞台裏では痛み止めの座薬とモルヒネ薬を服用していたという。あの場はお別れのつもりだったのだろうと、後で妻が書いている。

体が思い通りに動かないこと、痛み、不快感、発熱、吐き気。逃げようがない体調の現実。
私の場合は、少しずつ回復に向かう気持ちの変化を感じられたが、彼のような進行性の重病での日々悪化を感じる辛さは、想像できないほどに怖い。
その中で、右肩に転移の激痛があり数行でペンを投げ出しながらも、克明に紙に刻み続ける激烈さ。書くことを支えにしている、と彼は書いている。

医師の言葉に一喜一憂したり、一言に引っかかり後で様々に想像したり、医師の説明のズレや方針のブレにイライラする。
排泄の喜びや、一時でも点滴のラインがなくなる解放感。新聞やテレビニュースの訃報を強く受け止めたり、模範患者は死ぬという言葉を思い出してみたり。
見通しのないことの辛さ、テレビに興味が持てなくなる感覚、自分とは無関係に動いている社会、外から来て、帰っていく人たち、取り残されている自分。食べ物を想像する飢餓感、食べるものに興味を失う感覚。でも回復のためだから、砂を噛むように飲み込む感覚。

私でさえ思い出せる、患者に共通する気持ちの動き。前書きに、「患者心理学のテキストとしても医療関係者は読むべき」という言葉があったが、こういった患者の当たり前の感覚さえ医療従事者が知らないのだとすれば、医療には期待できないなと思う。もっとも、患者の感覚を克明に書き残し、人に示す人も少ないのかもしれない。

はじめの手術では、「傷の恢復を待つだけという安心感と気力があり、目的意識をかき立てるために俳句と日録を書こうとした」、と彼は書いている。
これが、再手術を告げられて、がっくりして、前向きな気持ちが失われてくる。おそらくかなり早い時期に、回復を信じられなくなり、前向きに抗うことをやめ、動揺してジタバタするのではなく、かといって受け入れられる訳もない。

最後に自らの終わりを察し、はっきりと「敗北宣言」し、辞世の句を残している。友人に筆談で伝える言葉は、壮絶であり言葉を失う。


私も最後まで自分を、意識を保っていたいと思った。生き様を見せてもらったことに深く感謝したい。


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Ⓒ2020青海 陽
『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒』江國 滋 著 1997 新潮社 


読んでいただき、ありがとうございます!☺ かつての私のように途方に暮れている難病や心筋梗塞の人の道しるべになればと、書き始めました。 始めたら、闘病記のほかにも書きたいことがたくさん生まれてきました。 「マガジン」から入ると、テーマ別に読めます(ぜんぶ無料です)🍀