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掌編小説|アングラ歌謡祭|シロクマ文芸部

恋猫とおりゃんせ/よしんば千秋

 母親の遺品から古いカセットテープを見つけた。
「これ、どっちが曲名?」
 手書きで書かれた文字を、隣で作業している親父に見せた。
「『恋猫とおりゃんせ』に決まってんだろ。あるシーンの中では一世を風靡したんだぞ」
 我らが青春のよしんば千秋だよ、と懐かしそうに目を細めた。

「プロデューサーはつんこ♀︎。あのころはアングラな曲書いててさ。その中でヒットしたのがこれだよ」
 へえ、と冴えないリアクションをして、返されたカセットテープをダンボールへ放った。
「お前の母さん、よしんばギャルだったからな」
「なにそれ。アムラーみたいなもん?」
 かかかっと親父は笑った。だけどそのあとに続く言葉がない。妙に気になってきた。
「どういう曲か気になるけど、カセットテープなんてもう聞けないよな」
「聞きたいか」
「べつに……」


 親父に連れられて古いジャズバーに入った。
「とおりゃんせー。……え、吉田?」
 髭を生やして長めの髪を後ろに撫で付けたマスターがこちらを見て驚いている。
「杉田。久しぶり。いまだにここの挨拶は『とおりゃんせ』か。すごいな。さすが会員番号一番」
 マスターはカウンターの中から出てきて、感極まった様子で親父を抱きしめた。
「なんだよ、吉田。何十年も姿を見せずに。千秋はどうした。元気か」
「千秋か。懐かしい呼び名だ。そのことはまあ……あとで。それよりこいつだ。俺の息子。よしんばJr」
 ニカっと笑ってマスターがこちらへ手を差し出した。
「長い夜になりそうだ」
 固い握手だった。
 マスターはカウンターへ戻り、棚からレコードを一枚引っ張り出した。
「よしんば千秋……」
 親父が呟いた。
「母さんの歌手名だよ」
「は?」
 流れていたジャズが消えた。
 いっときの無音。慣れない空間に変な汗をかいた。
 マスターが店のドアに「貸切」の札を下げた。直後、鮮明ではない音で昭和歌謡が流れ始めた。

とおぉりゃんsay、とおりゃんsay……

 女の発するビブラートが気持ち悪い。
「これ、ほんとに母さん?」
 ふっと笑った親父がマスターから酒を受け取った。
「お前にはこの際、全部話すよ。母さんがよしんば千秋としてアンダーグラウンドの泥水をすすっていた時代のこと、そこからアングラの女王に上り詰めた軌跡。そして、よしんば親衛隊一号二号の恋模様」
 聞きたくねえ……。心底そう思ったが帰れそうもなかった。

ココハ ドコノ 細道じゃイイィィ!!!

 癖の強い千秋のシャウトが夜のバーに響いた。





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