見出し画像

Re: (短編小説)

ここは、パリのシャンゼリゼ通りか。
違う。かと言って原宿の竹下通りでもない。
ここはかつて私が、学生時代によく利用した商店街だ。なぜ今になって私はこんなところに立っているのだろう。

「こちらへどうぞ」
ぼうっと商店を眺めていた私の足元に、いつの間にか小柄な男がしゃがみこんでいる。
弓なりに細めた目で、嘘くさい笑顔を向ける男が、その短い手で指し示す先に、電動立ち乗り二輪車があった。

「珍しいな」
私は深く考えることなく男に促されるまま、二輪車の持ち手をしっかりと握り、足を乗せた。
「固定しますんでえ」
男は私の足首のあたりを、足輪のようなものでしっかりと固定した。
「自動で動きますんでえ」
それだけを説明すると男は立ち上がり、顔をこちらに残したまま、軽くお辞儀をした。男が頭を下げたのを合図に、二輪車はゆっくりと動き始めた。

今日が平日なのか休日なのか分からないが、商店街で買い物をしている客は多くはなかった。それなりに歩いている人はあったが、誰一人として、二輪車に乗る私を気にする者はなかった。久しく訪れていなかった間に、この二輪車は商店街ではメジャーなアクティビティになっていたのかもしれない。

「そういや、どこへ向かっているんだろう」
当然疑問は湧いたが、不思議と不安はなかった。妙にふわふわした気持ちでいた。
私を見送った小柄な男の元から30メートルほど進んだところで、カツ丼屋から出てきた一人の男に目が止まった。
「あっ」
思わず声が出た。その男というのは、学生時代の私の親友だった。私は、止まること無くゆっくりと進み続ける二輪車の上から、迷うことなく声をかけた。
「おい、木村!」
「え、酒井。何してんだ」
「何をしているのかは、正直俺にもわからない。木村、元気か」
「ああ、お陰様で。妻もきてるよ。おい、ミキ、酒井がいる」
木村に呼ばれ、店の中から遅れて顔を出したのは、かつて短い期間私と交際をしていたミキだった。
「ミキ……」
「あれ、酒井くん。何してんの?」
私は酷く動揺していた。
「いや……あの、もう俺のことは忘れてくれ。お幸せに!」
私はそう言うと、そのあとに続くミキの言葉も聞かず前を向いた。相変わらずゆっくりと進む二輪車に強い苛立ちを覚えた。

学生時代付き合っていたミキが、私との交際期間中、密かに好意を寄せていたのは木村だった。彼女から複雑な思いを打ち明けられたことは、まるで昨日の事のように思い出せる。そんな、私を裏切った二人は、最終的に夫婦になっていたのだ。
二輪車がしばらく進んだところで、恐る恐る振り返った。二人の姿はとうになかった。
私は彼らに再会してしまったことで、大切な存在を同時に失った当時の悲しみを思い出し、寂しい気持ちになっていた。
それと同時に、自分の意志ではなくこんな二輪車に乗せられていることがたまらなく嫌になった。
私は、足を固定している足輪を力ずくで外そうと試みた。しかし、しっかりと固定された足輪はびくともしないのだった。
「なんなんだよ」
独り愚痴を吐いたその時、すぐ横で声がした。
「ねえ、酒井くんじゃない?」
「え、先輩?」
透き通る白い肌、長い髪をさらっと流すその人は、入社一年目に世話になった職場の先輩だった。
「酒井くん、これ、乗っちゃったんだ……」
先輩は複雑な気持ちを表した表情で私を見た。
「ぼうっとしてたら乗せられちゃって。先輩はどうしてここに?」
先輩は首を傾げながら言った。
「呼ばれたのかなあ。酒井くんに」

ゆっくりと先輩から離れていく二輪車に逆らうように、私は身を乗り出した。
「俺、伝えてなかったですけど、先輩のこと好きだったです」
先輩は私の言葉に眉をひそめた。それから悲しげに微笑んだ。
「もう遅いよ、酒井くん」
先輩の目から涙が零れた。
「あのとき私を振ったの、酒井くんの方じゃない」
そう言うと先輩は私に背を向けて歩いていってしまった。
「え、なんのことですかそれ。俺、知らないっすよ!」
私の声は虚しく響いた。足を動かして先輩の元へ走っていきたかった。しかし、やはり私の足首はしっかりと固定されているのだった。どうにもできない私を残して、憧れの先輩はすぐに見えなくなってしまった。

その後も、二輪車が進んでいく先々で気まずい再会は続いた。その度に私は、忘れかけていた過去の出来事と向き合い、悲しく、寂しい気持ちになった。
そんなことの連続に、いよいよ疲れ果ててきた頃。数メートル前方に、私を二輪車に誘導した男が立っていることに気がついた。
男を見て、やっとこの苦行から解放されると思った安心感から、私はつい泣き出してしまった。
やがて二輪車は私の希望通り、男の前で静かに停止した。

「いかがでした?」
男が言った。私はどんな感想も語りたくない気分だった。
私が話し始めることをいつまでも待っていそうな、余裕のある男の弓なりの細い目を見て、私は次第に怒りが湧いてきた。
「何なんだよ、ちくしょう!振り返ったところで、クソみたいな人生だった。まったく、自分で自分が嫌になる」
私は、悔しい気持ちを男にぶつけた。
「誰も俺を必要としていない。誰も俺のことを良く思っていない」
荒い呼吸を繰り返した。
「絶対負けねえ。生まれ変わってやる。もう一度人生を始めるんだ」
「ほーう」
口をすぼめたその小さな男は、いかにも感心しているような表情で私を見た。
「これからやり直せると?」
「やり直すんだよ。誰がなんと言おうと」
「ご自分の人生をやり直す?」
「当たり前だ。自分の人生は自分さえ本気になれば好きなように作り変えられるさ」
「さようでございますか。ならば……」
男はそう言うと、高々と片手をあげた。高々と言っても、小さな男なので、私の鼻の高さくらいのところで、中指と親指を押し合わせ、パチっと鈍い音を鳴らした。
男の鳴らした中途半端な音を合図に、私の体は宙に浮いた。驚いて声を出せない私に男は言った。
「それでは、お手並み拝見!」
私の視界は真っ白になった。


◇◇◇

目を覚ますと、やたらと白い部屋に寝かされていた。起き上がろうにも体を動かせない。
しばらくじっとして目をぱちぱちさせていると、誰かが近づいてくる足音が聞こえた。
「あら、目が覚めたのね。良かったわ、酒井さん」
どうやら彼女は看護師のようだ。とすれば、ここは病院のベッドか。
「大きな事故だったからね、だいぶ長い間眠っておられましたよ。今ドクターを呼びますからね」
看護師は私を残し、どこかへ去っていった。

私はあの商店街での出来事を覚えていた。
それはつい先程の記憶のように鮮明だった。それでいて、あの走馬灯のような出来事を、すでに懐かしく感じた。
気がつくと、ドクターが私のベッドの脇に立っていた。
「ご気分はどうですか」
「最悪です」
「一歩間違ったら、貴方、死んでいましたよ」
「心は一度死にましたけどね」
「今後はリハビリに励んでもらいますよ」
「望むところですよ」
「ほーう」
ドクターが口をすぼめたのを見て、私は少し驚いた。あの男と同じ癖があるのはただの偶然だろう。だが、あの男が「お手並み拝見」と言った通り、確かに私はここへ戻ってきたのだ。
死にかけた命に、もう一度チャンスをもらったのかもしれない。
私は「やってやろう」という気持ちになっていた。
誰にも求められなかった人生、誰にも好かれなかった人生は、もう私のものではなかった。

「やり直すよ。誰かを見返すためじゃない。自分のためにね」




[完]


#短編小説











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?