掌編小説|聖人のこと|シロクマ文芸部
十二月になると聖人が来る。馬小屋を持つ裕福な家を狙ってやってくる小汚い中年だ。
聖人は今でこそ貧しい身なりをしているけれど昔は画商の真似事なんかしていたらしい。真似事だから、もちろん本物ではない。
だけど聖人は絵が上手い。
毎年馬小屋にやってきて絵を見せてくれる。
見せてくれるというか、本人としては買ってもらいたいみたいだけど、あまり欲しがる人はいない。だけど聖人の絵は下手というわけでもなくそれなりだから、一応、家のものは馬小屋に集まって聖人の絵を鑑賞する。
「今年はなにかねえ」
重たそうに大きな絵を馬小屋に運び入れる聖人を眺めながら婆ちゃんが言った。
「婆さん、そんなに楽しみなら一度くらい買ってやれよ」
叔父の久志が意地悪く笑う。婆ちゃんは気まずそうに口をもごもごして前掛けを揉んだ。
「上手いって言っても素人の模写だから」
叔母の真理子が冷たく言い放つ。
だけど案外真理子というのは聖人に親切で、十二月のこの時期になると聖人がいつ来てもいいように切らすことなくケーキなんかを焼いている。
聖人はそんな家人の様子に構うことなく準備をする。
「今年はまた随分と大きな絵だな」
椅子に腰掛けた爺さんが聖人の絵に杖の先を向けた。
「聖人さん、器用なんだからいい仕事見つかりそうなのにね」
姉の凛花が無邪気にそう言うとすかさず真理子が
「別に聖人くんは浮浪者じゃないよ」と言った。
皆は一斉に真理子を見て
「え、なんで知ってんの?」とか
「聖人とそんな話するの?」とか色々訊いた。
真理子は「うるさいなあ」と言って馬小屋を出ていってしまった。
その真理子を目で追って寂しそうな表情を浮かべた聖人を、私だけが見ていた。
それからしばらく大人たちは真理子と聖人の噂話に花を咲かせた。聖人本人が目の前にいることをすっかり忘れて大盛り上がりだ。
私は鑑賞会が終わったら遊びに行く予定があったから早くこの会を終わらせたくて、勇気をだして立ち上がった。
「さあ、よってらっしゃい見てらっしゃい。聖人くん渾身の作品だよ。今年は何かな? ゴッホの星月夜? それともフェルメールの真珠の首飾りの少女か。彼の模写は本物を凌ぐ気品がありますからねえ。気に入った人は買うことだってできるんですよ。どうぞ欲しい方は……」
そこまで言った時、聖人が大きな咳をした。
皆、聖人がいたことを思い出し視線を向けた。私は立ち上がったことが恥ずかしくなり、再び床に腰をつけた。
「この絵は違う。売り物じゃない」
聖人が喋った。それも皆が聞き取れる声量で。その声は意外にも威厳があった。
皆、催眠術にでもかかったように動かなかった。ただ黙って、その絵にかかる布が降ろされるのを、そして再び聖人が話し始めるのを、今か今かと待っていた。
そんな中、戸口に近いところにいた私だけが、誰かがそっと小屋を覗きに来た気配を感じとっていた。
聖人はついに布を降ろした。今年の絵は、とても大きかった。
「おお……」と小さく歓声が上がった。爺さんがしきりに頷いている。
婆ちゃんは口をもごもごさせて、久志の腕を掴んだ。
凛花は「やるじゃん」と言ってスマホで写真を撮った。
クリムトの接吻。今年の聖人の作品は、ゴールドに輝いている。
最前で見ていた両親がさらに絵に近づいて何かひそひそと言い合っていた。
「まさかねえ」という母、依子の声。
「いや、間違いない」と父の明が興奮気味に言った。
「金箔使ってるよねえ、これ」
父の声は上ずっていてどこかいやらしく、聞いている私は恥ずかしかった。
「それにね、どう見てもこの女の人、真理子ちゃんなのよ」
推理オタクの母の頬に赤みが差した。
どれどれと皆一斉に絵を囲むようにして集まった。
「ほんとだ。金箔だ」
「金箔初めて見た」
「この量使ったら結構……ねえ」
「いや、すごいよ。この金箔は」
皆、金箔に夢中だった。
「で、これほんとに真理子ちゃんなの?」
凛花が思い出したように言った。
家族一同、聖人を見上げた。
絵の後ろで俯いたまま微動だにしなかった聖人が、ゆっくり顔を上げて戸口を見た。
聖人の視線を追い、各々が振り向いた。
戸口には真理子が立っていた。
目を潤ませて聖人を見つめている。
「ほんとかよ」
久志がくっくっと笑った。婆ちゃんが口をもごもごさせながら嬉しそうに久志の肩を何度も叩いた。
両親がこそこそ何か話している。
凛花は動画を撮り始めたようだ。
爺ちゃんはいつの間にか眠っていた。
私はスマホを取り出すとこれから会う予定の友人にメッセージを送った。
「実家がエモいことになってるからちょっと遅れる。ごめんね」
よろしくお願いします°・*:.。.☆
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一年前にも同じお題で書きました。こちらは少しダークなお話です↓