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「狂気」の居場所。

深夜、家の近くを通った救急車のサイレンで目が覚めて。
なんとなく寝つけなくて、youtubeを開いて見た動画が、なんだかちょっと刺さって。


箕輪さんのことは「死ぬこと以外かすり傷」という書籍を、当時、高校生大学生だった子供たちが読んでいたことで知りました。
私の立ち位置は「読者の母」ということになります。
私もペラペラめくってみたけれど、あの「熱」があまりにも自分には高熱で読み終えられなかった記憶が。

「おかあさん、本当にそうだよね。死ぬことを思えばなんでもできるってことだよね!」

と子供たちが語っていたような。それは、きっと、作者の箕輪さんの若者へのメッセージそのものだったんだと知りました。(動画を見て)
言葉の意味を理解、というよりは、それを聞いてチャレンジしていく元気な若者が増えていく、ということ。

過去、私は若いころ、(動画で話されているところの)箕輪さんたちのような「激熱」な人と仕事をしたことがありました。いわゆる、起業家や投資家の世界です。当時はハマりました。本当に楽しかったのです。
今振り返ると、自分が「これをしたい」というよりも、その人たちの熱を一緒に感じて、まるで仲間になった気がして、とんでもない量のアドレナリンが出る。ある程度の結果も出ていくうちに、私は「怖く」なり、そこを抜けました。「青子、もっと突き抜けろよ!」って言われた時に、怖くなったのです。今思うとビビったんです。

そんな「中途半端」に終わった私が、どうしてこの動画に惹かれたんだろう、と考えました。やりきった人間だけが感じるようなことを、私は今どうして、と。


ああ、今の自分は狂気の対象を失ったからだな、と思えました。
そこが自分にも響いたんだな、と。

子育ても終盤。
長い間やってきた仕事も失って。
家族関係も見直すことになって。

特に子育ては、ある種の「狂気」です。
「あー、やってみたけど、ちょっと疲れたんでやめます」ができない。
目の前にいる息して寝ている新生児に乳をやり、おむつを替える。
前後に子供を乗せてママチャリに乗り保育園に送って仕事に向かう。
熱が出ました、と呼び出され、職場に平謝りして早退する。
やっと手が離れたと思ったら、今度は思春期が来て。
受験のころには、教育費というお金の心配。
この楽しいこともあるけれど、嫌だからとギブアップはできないという危機感。
ちょっとなんと表現していいかわからない世界です。
「死ぬ物狂い」でも足りない。

動画で話されていたような人たちの仕事の世界でのあれこれは、私にとっての子育てだったんだなあ、と。もっと言えば前述の「中途半端に終わってしまった」世界のことも、もしかしたら、子供がいなかったら、そのまま突っ走っていたような気がします。

子供がいたからできなかった、という類の話ではなく、自分の中にある狂気の行先を変えた、という感覚です。そんな二か所に分散できるような簡単な話ではない、と無意識に感じたのだと思います。

人生のすべてをかけた壮大な子育て。

時間が過ぎた今、その「狂気の居場所」が終わってしまったら。
この行き場のないモノは、どこにやればいいのか。
じゃあ、もう「それ」は成りを潜めておとなしくしていられるのか。


今の自分がつらいのは、この「狂気の行先」を失ったからだな、と思いました。かといって、またその「対象」が出来るのか。出てきたとして、これまでと同じように「熱狂」できるのか。それは幸せなのか。

絶対に違うのは、終わったものを追わない、ということです。
まるで一人で延長戦をするような、そんなことはしてはいけない、と。
それはわかってるんだけど…な。

この中年の危機、みたいなものを超えるには、
違うやり方(生き方)にシフトするのがいいのか?
また熱狂できることを探すのか?
そんな「?」が浮かんでばかりです。

(次に見た動画の話に続きますね。)








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