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理由探し、をやめた。

前世療法(ヒプノセラピー)を受けて以降、いろんな扉が開いている、とよく書いていますが、今日もそのうちのひとつ。

その理由、いりますか。


もう成人した子供たちと話をすると、ふと「ああ、私の癖がうつったのかも…」と思う瞬間がありまして。それは「●●だから、●●する」という説明が多いこと。

もちろん、子育てにおいて「理由を言う」ということは必要な場面はたくさんあるし、それは理解できるんだけれど、「今、理由いる?」というときにもよく「●●だから」「●●と思って」ということが多い。私も子供たちも。
どうも、私の力が弱まってきた(加齢)頃に育てられた末っ子だけは、そういうことがなさそうだ、笑。

ああ、申し訳ないね…今後、自分でいいようにやっていって!
と心でつぶやく。

例えば、「仕事頑張ったから、ご褒美に●●のバッグ買ったんだよね。」という感じ。もちろん、ご褒美方式、ガソリン方式(これについては、また後日記載)どちらの方法あって、「えー、私はガソリン派だなー」と思ってきたりしたけれど。

もはや、それもどっちでもいいし、どっちもいらないのでは?
と思えるようになってきた。

前世療法を受けてのち、しばらくたったわけだけど、気が付けば
「理由いる?」
と思う場面が多くなった。

「欲しいバッグは、欲しいときに買えばいい。」
という風に。理由がなくても、欲しければ買えばいいのだ。

頑張ってても、頑張ってなくても。
結果が出てても、出てなくても。

もちろん、自分を鼓舞するために、目の前にご褒美をつるしたほうがいい、そう思う時はそうすればよくて。でも、そんな理由がなくてもよくて。

いつしか「理由がなくては、何事もやってはいけない」となっていた気がする。そして、その雰囲気は、ちゃんと子供たちに伝わっていた…苦笑


「もう最近、おかーさん、思うんだけど。食べたいものを食べて、欲しいものは買えるなら買って。それでいいと思うんだよね。」
と言ってみたら、「へえ」という顔をしていた子供たち。

きっと、理由を述べなくてはいけないシチュエーションがたくさんあったんだろう。そうしなくては生きていけない、ということ。思い出すこともたくさんある。

でもね、もうそれもいい。しなくていい。
これいいなあ、と思った服を着たり、
美味しそう、と思ったものを食べたり。

暑いから薄着しなくちゃ、
栄養バランスが悪いから、これ食べなくちゃ。

みたいなことはしなくてもいい。
そうでなくても、この「理由づけ」の癖は抜けないのだから、全部やめると思ってちょうどいいのだと思う。

そう、なんでも過剰に反応して、行き過ぎて、やりすぎてきた私たちサバイバーなのだから。全身の力を抜いた(つもり)くらいで、世の中ちょうどいいのかもしれない。

また、何か重かったものが、手から離れていった気がする。
どんどん身軽になる。


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