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事実とは何か?

どうも、あおきです。医学部でコミュニケーション教育と心理学教育を行っている研究者兼心理カウンセラーです。今日は「事実とはなんだろう?」というテーマで考えてみたいと思います。

「これは事実だ」と言い切れるものって、どれくらいあるでしょうか?

私たちは日々、ニュースや会話、SNSなどを通じていろいろな情報に触れていますが、それらを無意識のうちに「事実」だと信じてしまうことも少なくありません。でも、ちょっと考えてみると、事実って意外と曖昧なものだったりします。

たとえば、「今日は寒い」という発言。これを事実だと言えるでしょうか?確かに、気温が低ければ寒いと感じる人が多いかもしれません。

でも、同じ気温でも「寒い」と感じる人もいれば、「涼しくて気持ちいい」と思う人もいます。ここで問題になるのは、「寒い」という感覚が主観的なものであるということです。

気温という数値自体は客観的なデータかもしれませんが、「寒い」という評価には個人の感覚や経験が入り込んでいるわけです。

このように、事実には「客観的な事実」と「主観的な事実」があると考えられます。

客観的な事実とは、誰が見ても同じ結果が得られるもの。たとえば「水は0℃で凍る」とか「太陽は東から昇る」といったものです。

一方、主観的な事実は、個人の経験や認識によって変わるもの。「この料理はおいしい」「この映画は面白い」といった感想は、本人にとっては事実でも、他の人にとっては違うかもしれません。

さらに、もう一つあるのが、「事実はどう認識されるか」によって変わることです。

心理学では「認知バイアス」という言葉がありますが、人は自分の経験や価値観に基づいて物事を判断するため、同じ事実を見ても違う解釈をすることがよくあります。

たとえば、ある人が転職したと聞いて、「キャリアアップのチャンスだ」と思う人もいれば、「この人は安定しないタイプなのかもしれない」と感じる人もいるでしょう。

元の事実は「転職した」だけなのに、そこに意味が加わると、それぞれ違うストーリーが生まれるのです。

歴史の解釈も面白い例かもしれません。同じ出来事でも、立場が違えば「英雄」と「侵略者」では評価がまったく異なります。

こうした視点の違いを考えると、「事実」とは単なる出来事だけではなく、「どの視点で見ているか」が重要になってくることがわかります。

また、私たちは「事実を知りたい」と思っていても、実際には「自分が信じたい事実」を選んでしまうことがあります。

たとえば、ある政治家についてのニュースを読むとき、自分が好意的に思っている人の情報はすんなり受け入れるのに、嫌いな人の情報には「そんなはずはない」と疑いを持つことがあるかもしれません。

これは「確証バイアス」と呼ばれる現象で、自分が信じたいことを裏付ける情報ばかりを集めてしまう心理的傾向です。

こうしたことを考えると、「事実とは何か?」という問いは、単に「何が起こったのか?」を知るだけではなく、「それをどう解釈するか?」まで含めて考えなければならないということになります。

そして、その解釈には個人の経験や文化、時代背景まで影響してくるわけです。

では、どうすれば「事実」をより正確に捉えることができるのでしょうか?

一つの方法は、「異なる視点から物事を見ること」です。

一つのニュースを見たら、別の視点の記事も読む。誰かの発言を聞いたら、別の立場の人の意見も確認する。

こうすることで、自分のバイアスを意識しやすくなり、「事実」と「解釈」の違いを冷静に見極めることができます。

また、事実そのものを疑うのではなく、「自分はどういうフィルターを通してこの事実を見ているのか?」を考えてみるのも大切です。

「自分はこう思うけど、他の人はどう感じるだろう?」と考えるだけで、物事の捉え方が広がります。

結局のところ、「事実」とは単に目の前にあるものだけではなく、それをどう捉えるかによって形を変えるもの。

だからこそ、一つの視点にとらわれず、柔軟に考えることが大切なのかもしれません。

平和な世の中であればいいなと心から願っています。

それでは最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

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