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真実と正義は価値観による【心理学】

どうも、あおきです。医学部でコミュニケーション教育と心理学教育を行っている研究者兼心理カウンセラーです。今日は「事実と真実、そして正義とは何か?」というテーマについて考えてみたいと思います。

これらの言葉は似ているようでいて、実はそれぞれ異なる意味を持ち、時には対立することすらあります。

私たちが何かを「正しい」と思うとき、それは事実に基づいているのでしょうか?

それとも、真実として受け入れたものなのでしょうか?

そんなことを考えながら進めていきましょう。

まず、事実とは何か?

これは比較的シンプルです。事実とは、客観的に確認できる出来事やデータのことを指します。「今日は気温が20度である」「この部屋には4人いる」「地球は太陽の周りを回っている」といったものが事実にあたります。事実は基本的に観測や測定によって確認できるものであり、誰が見ても変わらないものとして扱われます。

しかし、ここで問題なのが、私たちが事実をどう受け取るかという点です。たとえば、「今日は気温が20度である」という事実があったとします。しかし、「ちょうどいい気温だ」と感じる人もいれば、「寒い」と思う人もいる。つまり、事実そのものは変わらなくても、それがどのように認識されるかは人によって異なります。

では、真実とは何でしょうか?

事実と似ているように思えますが、真実はより主観的な要素を含みます。たとえば、歴史上の出来事を考えてみると、同じ戦争の出来事でも、国や立場によって解釈が異なります。ある国にとっては「独立戦争」でも、別の国にとっては「侵略行為」になることもある。どちらの解釈も、それぞれの視点から見た「真実」として語られるわけです。

このように、真実は単なる事実の集合ではなく、「どう解釈されるか」によって変化します。同じ出来事を見ても、人によって結論が異なるのはこのためです。これは心理学でいう「認知バイアス」の影響も大きく、私たちは自分にとって納得のいく形で事実を組み合わせ、ひとつの「真実」を作り出しているのかもしれません。

ここまで考えると、「正義」とは何か、という問いも難しくなってきます。

正義は、単なる事実や真実とは異なり、価値判断が強く関わる概念です。法律や道徳と結びつくことが多いですが、それ自体が固定されたものではありません。

歴史を振り返ると、かつては正義とされたことが、時代が変わると否定されることもあります。たとえば、かつての社会では当たり前だった価値観が、現代では倫理的に問題視されることもあります。

では、正義は何によって決まるのでしょうか?それは、個人や社会の価値観、文化、歴史の文脈によって変わるものです。ある行動が「正義」であるとされるかどうかは、その社会がどのような価値観を持っているかによります。つまり、正義は一つではなく、立場や時代によって変わる相対的なものなのです。

ここで重要なのは、事実・真実・正義が常に一致するわけではないということです。ある事実があったとしても、それがどう解釈されるかは異なり、さらにそれが正義として扱われるかどうかもまた別の問題です。

たとえば、ある政策がある国では「国民のための正しい決定」として受け入れられても、別の国では「不当な支配」として批判されることがあります。

私たちは、事実を知ることで世界を理解しようとしますが、その事実をどう捉えるかは、人それぞれ異なる「真実」になります。

そして、そこに価値判断が加わったとき、それは「正義」という形をとることがあります。

しかし、正義は一つの視点から決まるものではなく、多くの異なる視点の中で常に議論されるべきものです。

結局のところ、事実をできるだけ正確に知ること、異なる視点の真実を理解すること、そして正義を独りよがりに決めつけずに考え続けることが大切なのかもしれません。

という感じでこのことを考えると頭が痛くなりそうなのですが、目を背けずに考えを続けることも重要なんじゃないかなって思います。

それでは、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

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