見出し画像

本質的な休養ってなんだろうか?てゆーかまじで休めてる?【研究者日記】

実家に帰省して、1週間、今日福島に帰る新幹線の道中である。

母が亡くなって最初の正月なので、そういうときは実家にて父と弟とゆっくり過ごそうかと思い、長いこと函館に滞在した。

蓋を開けてみれば、酒を飲んで、美味い飯を食べ、漫画を読んでぐーたら過ごす正月となった。

この過ごし方をしたのはかなり久しぶりである。

おかげさまでだいぶリフレッシュすることには成功したが、横になりすぎたせいか腰が痛い。。

最近では漫画も読まなくなった。

これはおそらくYouTubeをはじめとするメディアの発展による。YouTubeを見ていれば良い時代になっあ。

私の場合は受け手じゃなくて、作り手に回れる世の中になったというのもおそらく大きい。SNSをするくらいの感覚で、さまざまなクリエイティブに勤しんで楽しむことができる世界である。

それにしても、私の場合は作ることに魅せられすぎてしばらくはすごした。しごともそう、研究も。

余白とは真逆、物作りをしすぎている。

大学院くらいからは、それまでよく行っていたパチンコにも行かず、漫画も読まずに、そういったもの作りに熱中してた。その当時は研究が物作りに該当する。

誰かと飲みに行ったり、漫画読んだり、パチンコいったり、そういう世界とは縁が遠くなった。

そういう余白な時間とは隔絶していた。

最近になって、旧友とよく会うようになった。わたしもそうだがお互いにそう言った時間を欲しているのだと思う。

何も生産しない1週間を過ごして、なるほど、これが真の休養なのかもしれないなと感じた。

日々の中で休んでいると思っている時間でも、結局のところ創作につながるなにかをしているし、動画も撮っているし、SNSに文章をあげる。

心のどこかでそういったことに気を取られている自分もいる。

もちろん、そういう気にかける対象物があること自体は人生を考え込みすぎず(言い換えると暇を作らない)コツではあるのだが、そればかりでは疲れてしまう。

最近はクリエイターや出役の人たちのメンタルのことが取り沙汰される世の中になった。

思い切って、実家の空間でぐーたらと漫画を読んで寝転んでいる時間も人生にはおそらく必要なのである。

充電したので、明日からまた何かしよう。じゃ。

いいなと思ったら応援しよう!