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気づいたら東京から長野に移住していた話【8時丁度のあずさ2号途中下車編】

長野県の真ん中あたりに位置する諏訪市って知ってますか?そもそも読めますか?
「諏訪市」は「すわ市」と読みますが、仮に「すわ」と読めても漢字で書けますか?
漢字がわかっていても「諏訪」だっけ?それとも「訪諏」だっけ?どっちの漢字が先だっけ?ってなりませんか?


私は生まれも育ちも東京である。都内の大学を卒業した後、長野県で公務員として働くことになった。今まで長野県には中学時代の部活の合宿と大学時代の友達とのスキー旅行くらいでしか来たことがなく、ほぼ縁もゆかりもない土地だった。
これが私の東京から長野へ、ある意味移住的移住をした経緯である。

何年も前のことだからはっきりと覚えてはいないのだが、長野県の公務員試験の日程を何かで目にしたのである。当時の私は就職活動中の東京の大学生で都内の企業に多数エントリーするも全く内定がもらえず半ば焦りを感じていた。
就職活動にも少し疲れていた頃だったし、「長野かぁ。去年の冬にスキーへ行ったなぁ」なんていうちょっとセンチメンタルな気持ちも湧いてきたということもあり、軽い旅行気分で受験してみることに決めたのだった。

確か一次試験が筆記で二次試験が面接だった。
筆記試験は都内の某大学で受けることができた。一応、根が真面目な方だからそれなりに勉強をして挑んだ。一般教養と小論文だったような気がする。
正直言って手応えはあまりなかったのだが、これがまさかの通過。

続く二次試験は現地長野県での面接。遂に私の長野プチ旅行が実現する運びとなった。
面接は朝早かったため、前泊で長野駅前のビジネスホテルに宿泊した。ここでも根が真面目な方だから、あれやこれやと面接対策をホテルでしていたのを覚えている。
しかしながら観光気分も忘れることなく、朝のバイキングもしっかりと堪能し面接試験に挑んだのであった。
試験後は善光寺など観光名所を巡って帰路に着いた記憶がある。本当に旅行気分だった。というか旅行だった。

なんやかんやで合格をいただいたのだが、蓋を開けてみると内定をもらったのはこの公務員試験のみ。
高校も大学も私立に行かせてもらった私はとにかく早く働かなければという気持ちもあり、両親と協議の末、長野県で働くという道を選択した。
内定の祝いを兼ねて両親と焼肉屋に行ったのを覚えているが、あの時両親はどんな気持ちだったのだろうか…

さて晴れて公務員となった私。公務員と言ってもいろいろな職種、業務がある。詳しくは書けないが私は基本的に長野県内の市町村どこへでも転勤する可能性があった。そして、冒頭で出てきた「諏訪市」、ここが私の初めての赴任地なのであった。
長野県の真ん中あたりには諏訪湖という湖がある。この湖を囲っているのは下諏訪町、岡谷市、そして諏訪市の三市町村だ。
毎年夏には湖で大きな花火大会があったり、7年に一度山から木を落とす映像で有名な諏訪大社の御柱祭という奇祭があったりして、とても活気のある町。また市内には有名な酒蔵がいくつもあり地酒が美味。私はこの街で日本酒を覚えた。さらに「8時丁度」でお馴染みの特急あずさも通っているから東京へのアクセスも良く、実家にも帰りやすかった。
諏訪市には約4年半勤務をした。人間関係にも恵まれて私の大切な青春の場だった。恋人は全くできる気配はなかったが、寂しくはなかった。特によく行くクリーニング屋のおかみさんと仲良くなり、よく晩御飯をご馳走してもらったのが懐かしい。まさに一期一会であった。

住んでいたのは諏訪湖のほとりにある職員宿舎だった。同僚たちとよく集まって鍋パーティーなど飲み会をしたのも懐かしい。

そんな諏訪市なのだが、冬がめちゃくちゃ寒い。長野県内ではそんなに雪の降る土地ではないのだが、とにかく寒い。標高も高いため、なんというか…凍てつく寒さなのである。

そんな冬のある日。たまたま夜勤があり、朝方帰宅した日のことである。この日も凍てつく寒さであった。
一晩風呂にも入っていないし、眠かったけれどシャワーだけでも浴びなければと思い、凍てつく風呂場へと入った。
早速シャンプーで頭を洗おうとしボトルのポンプをプッシュしたときだった。
シャンプーが出てこないではないか…
やだなー、やだなーなんて思いながら、それでも私は何度かポンプをプッシュし続けた。
すると…
シャリシャリ…
シャリシャリ…
なんだか不気味な音がしたかと思えば、シャーベット状のひんやりとした何かがそっと私の手のひらに乗った。
わー!と思ったら、なんとそれは寒さで凍ったシャンプーだったのである。

もうホラーでした。もう怪談でした。もう稲川淳二でした。
私は思った、とんでもないところに来てしまったと…

その時思い出したことがある、両親と行った焼肉屋で父が言ったことを。
「長野県は本当に寒いから俺はお前がそれに耐えられるかが一番心配だ」と。

父のあの言葉が本当に胸に沁みた瞬間だった。
私は手のひらのシャーベットを頭に乗せて震えながら身体を清めたのであった。
あの時は本当に沁みた。いつもよりシャンプーが目に沁みたような気がした。


拝啓
父さん、母さん。
あれから長野の各地を転々としてきた訳だけど。特に諏訪の冬は厳しかったよ。とてもこたえたよ。東京で生まれ育った俺は未だに長野の冬の寒さに慣れることはないけれど、なんとか生きているよ。みんなに助けられながらね。
きっと秋はすぐに過ぎ去って行くんだろうさ。そして長い冬がやって来るんだ。
敬具

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