家事分担は果たして愛情か?
ゲーリー・チャップマンの「ラブ・ランゲージ」という本を読んだ事があるでしょうか?
愛情を伝える方法は主に5つあり、夫婦がお互い自分の愛情の言語を知ることで愛情をより正確に伝え、受け取ることができるというものです。
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我が家はこの5つの言語の診断テストを夫婦でお互いに受け、お互いの愛情言語を知ることにより愛情の伝え方を学び効果的に伝えることができるようになりました。
愛情の5つの言語とは?
愛情の5つの言語は以下の通りです。
A.肯定的な言葉
想いを言葉にして表すこと。感謝、賞賛、励まし。
勇気を与える言葉、優しい言葉、相手を尊重する言葉。
B.クオリティ・タイム
相手のために時間を作り、一緒に過ごすこと。一緒に楽しむ。
目の前の相手に注意をそそぐこと。
C.プレゼント
相手を想っていること、考えていることを表現するプレゼント。
品物の金額ではなくて、それを象徴する想いが重要。
D.何かをしてくれる/してあげる行為
(ヘルプ・手助け・サービス行為)
勉強や仕事を手伝う。料理や仕事など、ほとんどの家事や雑用は
サービス行為に当たる。
E.スキンシップ
手をつなぐ、抱きしめる。性的なふれあい。パートナーと一緒に
ソファでくっついて座るなど、性的でないふれあい。
この5つの言語を自分と相手が知ることで、お互い大事にしている愛情表現を理解し、効率的に伝えることができ受け取ることができます。
家事育児は5つの言語のどこにあたる?
家事育児をこの5つの言語に当てはめると
D.何かをしてくれる/してあげる行為
(ヘルプ・手助け・サービス行為)
にあたります。
という事は、家事育児の分担を積極的に行ってくれるパートナーは愛情の5つの言語の中でこのサービス行為が一番重要だと考えていることが多く
家事育児を積極的にしてほしい、してくれないと愛されているのか不安になる、という方は自分の愛情言語の優先順位の一位がサービス行為なのだという事がわかります。
そもそも家事育児って愛情の言語に当てはまるの?
「いやいや、2人の家なんだし2人の子どもなんだから、家事育児は2人でするのが当たり前でしょうよ」
という感情はいったんおいておいて、このことをまず愛情の言語であるという事を自覚することが大事なのだと考えます。
(特に憤慨するのは主に家事育児を行っている側だと思います)
パートナーが家事育児をしてくれないと
「自分に対して愛情がないのだと感じる」
「期待を裏切られて悲しい」
「〇〇をしてもらえない私は愛されていない」
と思う方は、パートナーが家事育児をすることを自分への愛情表現だと感じている可能性が高いです。
実は、かつての私がそうでした。
相手にお願いしていた家事を次の日になってもしてくれていないと
「私がお願いすることは彼にとってはどうでもいいことなのだ」
「自分をないがしろにされた」
と強く感じていました。
なので、お願いをしそれが実行されないと愛情のメーターがどんどん下がっていったのです。
自分の愛情の言語の優先順位を知ることが大事
そのことを自覚したうえで、テストを行うと、驚くことに私の愛情の言語でサービス行為は一番低く
1位 クオリティタイム
2位 プレゼント
だったことに気が付きました。
家事育児をして欲しいのではなく、きちんと目を見てしっかり向き合って話ができる時間が欲しい。
離れているときも私のことを忘れないでささやかなものでいいからお土産を買ってきてくれたり(お手紙なども嬉しい)誕生日や記念日にはプレゼントをしてくれたりしてくれると嬉しい。
そんな事がわかり、それを相手と共有しました。
夫はそれを実行するようになり、私と話をする時間を週に一度一時間はとるようになりました。
また、出張先からお土産が届いたり、誕生日や記念日には贈り物をしてくれるようになりました。
そうすると、私の愛情の器が満たされて(本の中ではラブタンクと言います)
家事育児を私がほとんど行うことに対して憤慨することは減りました。
それは、家事育児をしなくても夫が私を愛してくれていることが分かったこと、そして夫の愛情の言語も知り受け取ることができるようになった事が大きいと思います。(夫の言語は肯定的な言葉なので、私をたくさん褒めてくれることをきちんと受け取るようになりました)
愛情の言語は時と場合で変化する可能性がある
もちろん、家事育児がキャパオーバーな時に助けてくれない‥となるとまた別の問題が生まれます。出産直後や私の仕事が忙しい時に頻繁に子どもの用事が重なるときなどです。
愛情の言語云々よりも緊急事態のときです。
「本当に助けてほしい時に助けてくれるかどうか」
というパートナーとして一緒に歩んでいけるかどうかのレベルの話なので、その時は何が何でも家事育児は2人で分担して行う必要があると思います。
「本当に助けてほしい時に助けてくれるかどうか」
は信頼関係の構築に欠かせないものです。
実際私は本当に助けてほしいとき、夫にヘルプを求め、そして夫はきちんと実行してくれます。
・どうしても外せない仕事の時に子どもが熱を出した
・寝不足がひどくて寝かせてほしい、私の体調が悪い
そんなときは大事な仕事を調整してでも助けてくれるので、何かあったら頼っても大丈夫という絶対の信頼があります。
普段の家事育児が私がメインだということはたいした問題ではないのです。
平常時であれば家事育児だけで家庭が回っているわけではないので、やはりお金を稼いでくる人は必要ですし、役割分担でどちらがどこに比重が多いかはお互いが納得して話し合うことが大事です。
いま相手に要求している家事育児はどっち?
家事育児の分担を要求するのは
愛情表現としてなのか?
本当に助けてほしいからなのか?
を見極める必要があると思います。
家事育児以外に相手がしてくれている事…たとえば生活費を文句ひとつ言わずに稼いできてくれたり、毎日仕事に行っていることは当たり前のことではなく、それをまず自分への愛情表現だと思うのです。
受け取り、感謝することを一度やってみる。
そのうえで、まだ愛情が足りていないと感じているなら、そのことを相手に伝える。できれば自分の愛情表現の一位はこれ、ということもセットで伝えると、相手が受け取って実行してくれることもあります。
(例えば相手が男性だった場合、言語化すると理由が明確なのできちんと実行してくれる可能性が高いです)
そして、かつての私がそうだったように
「これくらいやってくれてもいいのに」
は相手にとってはとても難しいことに思うこともあるのかもしれないという事を忘れないようにします。
例えば私は車のメンテナンスや運転、家具の組み立てなどは
「どうしても困難で覚えようと努力しても出来ない、できる相手がいたらそれ以外のところで頑張るからお任せしたい」
と思っている分野です。
相手が代わりにしてくれていることにまず感謝します。
また、私は経営者なので、お金を自分で生み出すことの大変さや苦労を死ぬほど感じています。
自分が食べれなくなっても、家や布団やお風呂、食べるものを確保し生きていける支えになり、継続してくれる夫の存在はとても頼もしくありがたいです。
そのことをまず自分から感謝し、きちんと折に触れて伝えるようにします。
愛情が足りていない部分をお願いし、夫に実行してもらって愛情のタンクが満たされると、私は相手に家事育児をして欲しかったわけではなく私への愛情を示してほしいという事がわかったのです。
大事なのは家事分担を平等にするかではなく愛情のタンクが満たされること
愛情が足りてないなと思ったら(本当に大変な時以外は)
「もっと家事育児をしてほしい」
ではなく
「寂しい、一緒にいたい、愛情が足りていない気がする」
と伝えるようにしています。
大体クオリティタイムが減っているときなので、意識して相手と話をしたり子どもたちの成長を共有する時間を多めに取るようにします。
そうすると大体私のメンタルが安定するので、原因は
「家事育児をしてくれない」
ではなく
「相手と同じ時間を共有できていない」
ことにあると感じています。
夫が私を見ていないように感じるときは、どうしても自分に目を向けてほしかったり同じ時間を共有したくて
見た目でわかる
「家事育児を一緒にやること」
で相手の時間を欲しくなる時があります。
ただ、根本的にある考えとしては
夫の仕事を尊敬し、私に無いクリエイティブな発想を私が殺してしまわないようにしたいと考えていますし、常に私が尊敬できる格好いい夫でいてほしい。
家事育児の時間は外注も出来るから、その分の時間を夫にお願いすることは
「格好いい夫でいてもらう」
ためには押し付けすぎなのです。
ただし、子育ての楽しさや悩みは共有したいし、夫にとっても意味のある経験だと考えています。
子どもの成長は一緒に見たいし、子どもや私に心で寄り添うことをおろそかにしてほしくはないと考えています。
それを明確に伝え、子どもの成長を一緒にいない時も出来る限り報告し
話をしっかりする時間をとる。
夫に家事育児をしてもらうことよりも重要視しています。
まずはお互いの愛情の言語を知ろう
自分の時間も相手の時間もそれぞれが尊重されるものであるということを前提に、お互いの愛情の言語を知ることは生涯を一緒に生きていくために大切なことだと考えます。
自分がどれだけ相手を愛しているかと同じくらい、相手がどれだけ自分を愛しているかを知るのは大事なことです。
これは親子関係でも重要なことです。
「私は愛されている」
という実感は人生を生きていくために必要なお守りです。
それを最初に実感できないまま家族のきずなは構築できません。
いずれにしても、自分がどうしたいのか、どうされると嬉しいのか、また相手はどういう方法で自分へ愛情を伝えてくれているのか知ること。
そのことを自然に話せる環境を一緒に作っていくことが大事です。
「〇〇をしてもらえない私は愛されていない」
をぶつける前に、一度考えるきっかけになれば幸いです。