大学に行きたくても行けない人がいるが、行きたくなくても行かざるを得ない人もいる不条理に私は困惑する
後者である。嫌われる自信ありあり。
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私の家は裕福な方である(気がしている)。
奨学金も借りていないし、全額出してもらっている。
だけどマジで大学に行かなきゃよかったと思っている。
こんなこと聞いて「👍」なんて言う人はまあいない。
行きたくても行けない人がいるから。
大学システムの現状に文句はない。
でもなんだかなあとは思う。
一概に言えたことではないが、
学費の割に使えない気がしているし、途中でやめたりする進路変更が大変だと感じている。
4年間のモラトリアムを満喫する、「最初からサボろう勢」よりむしろ、
高い志高く、意識高く入学してきた人にこの苦痛を感じていることが多いかもしれない。
私は最初は教師になりたかったのでとりあえず、その学部に入ることにしたが、思いのほか退屈で難しいし、病気になったり、コロナがあったり自分の周りが目まぐるしく変化する中で、教師を目指すのをやめた。
教職課程をやめたことで、なんのために大学にいるかわからなくなり、なんとか耐えていた専門分野の授業も一気にだるくなった。
何度もやめたいと親にかけ合い、喧嘩もしたが結局、「大卒」はあった方がいいと言うことでやめてはいない。
その点についてはまあ否定できないし、これまで注ぎ込んだ学費を考えれば止めるのももったいない気がしている。
その結果、やる気が1mmもない学生が爆誕した。
私立の理系大学なので年間100万円以上捨てているようなものである。
否、「大卒」代みたいなものか。
ここまで読んでいただいてイライラする方もいるかもしれないが、
これは事実なので致し方ない。
私は、自分の家が中途半端に裕福であることにこれほどまでに憎しみを抱いたことはない。大変身勝手な供述であるが、現実問題そうである。
経済的な事情でやめた知人の話を人づてに聞いて最初に抱いた感情が「羨ましい」である。やばいやつだろう。
ただ、言っちゃいけないことほど、潜在的な共感者が多いと思っている。
私は恵まれていることに対して憎しみを持った。
私は病気になってから死生観が形成され
また、世界に対する見方が不安定になった。
人生はあっという間に終わる。
嫌なことをしている間に終わってしまったら泣くに泣けない。
だから一刻も早くやめて、働いて好きに生きたい。
でもそれは叶わないし、どうせならもう卒業まで耐えよう。大卒はあって困るものではないし、好きに生きるのにプラスになる。そう考える自分もいる。
なんともまあ、滑稽な話である。
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怒らないでください。。。