原稿用紙と鉛筆、参考書とシャーペン。オレンジ色の鈍い街灯。
高校最後の夏休みが目前の放課後。
進路指導室から教室に戻ると古賀が一人で机に向かっていた。
「珍しく勉強してんじゃん受験生」
僕が声をかけると「しとらん」と原稿用紙をペラペラさせた。
達筆な文字がきっちりとマス目を埋め尽くす。5cmばかり空いた窓からじめっとした夕風が彼女の短い髪と原稿用紙を揺らす。
「・・・進学せんの?」
「・・・するけど?」「あ、勉強はな、大丈夫じゃ」
「さいですか」
「うち頭いいけぇの」
「作家になりたいの?」
「なる」
「なる前提なんや」
「なれるじゃろ」
まあ、高校生コンクールとかで何回も賞取ってるらしいし、文化祭の演劇の脚本とかもやってたし、なれるんだろうな。そう思った。驕りでもなんでもない。だから嫌味に聞こえなかった。
「文学部志望?」
「いや、理学部」
「は?」
「物理やりたい」
「なぜに」
「小説の息抜きに」
やっぱりちょっと変なんだよな。
「三田は?」
「文学部」
「ほー、変わっとるね」
「は???」
「本好きじゃもんね」
「好きじゃけど、書くんは無理」
「書けばいいのに」
「古賀見てたら書く気なくなるわ」
「なんで」
なんでって、天才の前で書いても惨めなだけじゃん。そう言おうとしたけど言わなかった。
外は明るく、だいぶ陽が伸びた。受験勉強のせいか、そういうのにあまり目を向けなくなったな。
「古賀、受験勉強はしないの?」
「しとるよ、でも書かないとさ、季節の変化とか学校の空気とか、そういうの見えなくなっちゃうじゃん」
ああ、そういうところなんだな。視点から違うんだな。でもなんだろう。ここまで差があると悲しくないな。
「三田はさ、なんでもそつなくこなせてええよな」
「古賀は小説書けるじゃん。賞とかもらったりさ」
「うーん」
「うーん?」
しばらく黙り込んでから「ま、ええわ」と会話を打ち切った。
「まだ残る?」と聞くと「残る」と返ってきた。
「そっちで勉強してええ?」と聞くと「ええで、机向かい合わせよか」「青春ぽいことしよか」とにひひと笑った。
それがちょっと嬉しくて、机を合わせて、古賀は原稿用紙に小説を、僕は問題集を開いた。
放課後の教室に二人。
鉛筆とシャーペンの音だけが響く。人がいないからか、やけに響く。
カリカリカリカリ・・・・・・・・・
ふと前を見る。当たり前だけど古賀がいる。少年のように短い髪、大きな瞳に、長い下まつげ、時折首を傾げるとそれに合わせて髪が流れる。手が止まるとほおを膨らませる。
・・・全然集中できない。一方、古賀は僕の存在などないかのようにひたすらペンを走らせている。なんか悔しい。
6時になると下校を促す放送が入り、僕らは学校を出た。
「三田、集中しとらんかったじゃろ」
「バレた?」
「うちのこと見過ぎ」
バレてた。
「なあ」
「ん」
「うちってモテる?」
「どういうこと?」
「うちわからんのよね、恋愛感情的なのが」
「・・・ふーん」
「三田はうちのころ好き?恋愛的に」
「どうでしょう」
「なんだよ」
「内緒じゃ」
「してみたいんじゃけどな、レンアイ」
「よくわかんないけど、困ってるんだね」
「みんなええよな、うちも恋バナで盛り上がってみたかったわぁ」
彼女なりに悩みもあるんだな。
頼りのない街灯が等間隔に並ぶ。オレンジ色に鈍く照らす僕ら。恋人にしては遠く、友人にしては近い距離を保って駅に向かう。手を出したら繋げそうな、そんな距離。
繋いでみる?と言ったらどうなるんだろうか。
古賀に恋愛感情があったら?僕の気持ちは伝わってしまう。だから結果的には良かったのかもしれない。こうして一緒にいられるから。それってずるいのかな。
ほんのりと罪悪感を持って、でも僕はこの状況を密かに、誰にも悟られないようにありがたがった。
志望大学が違うし、僕は受かったら東京の大学に行くから、多分もう会わないのかもしれないんだから、いいじゃないか。
そう言い聞かせて、残りの放課後を過ごした。