繁殖.3 デジャヴを繰り返す。
理由はわからない。そもそもこの現象に理由などないのかもしれないが、ここ数年やけにデジャヴを見る。というのか、感じるというのか。
これ自体はそんなに珍しいものじゃない気がするのだが、場面が独特なのだ。
デジャヴと言えば、経験したはずがない一瞬をあたかも過去に経験した気持になったり、見たことのない景色を昔から知っているような気分になったり。もしくは、ガキ使のトークで松本さんが話していたデジャヴーを想像する人がほとんどだと思う。(後者はだいぶ稀だが、仲良くなれそうだ。)
そして、俺が数年間感じている独特のデジャヴは、目を閉じた瞬間に起こるのだ。
あ、前もここで目を閉じたなと。
一度ならわかるが、毎回目を閉じた時に起こるので流石に違和感を感じる。
デジャヴを調べた所「既視感」と呼ばれるようだが、見ているはずなのに目は閉じてるのだ。
こうなってくると、この瞬間に目を閉じたことがデジャヴなのか、目を閉じた後の暗闇がデジャヴなのかわからない。
もしも暗闇がデジャヴなら毎日見ているはずで、まばたきする瞬間をただ極端に感じているだけの変な奴だ。
今は年に数回だからいいものの、段々と増えてきていつかまばたきする度にデジャヴが起こったらと考えると恐怖である。
心が休まる暇がないどころか、生活どころではなくなるだろう。
確かに人生において、何度も見返したくなるような経験もあるし、いつまでもここに居たくなるような場所もある。
それを見続けることができたら幸せなのかもしれない。なんて思うこともあるが、所詮は幻なのだ。幽☆遊☆白書のとぐろ兄のように永遠に喜び続けるのもつらい。あんなことをしていたら喉がおかしくなる。いや、頭がおかしくなる。
知っていることをしているとき、得意なことをしているとき、好きな人といる時間。もちろん楽しいのだが、デジャヴについて考え出すと、やはり未知の体験を増やしていくことが俺にとっては生き甲斐だと気づいた。
海水魚だとしても海を抜けて川を昇ってみたいし、川魚だとしても居心地がいい水流に留まらず大海に飛び出したいのだ。
どちらも苦しいうえに、身体にあってない。
それでも旅をしたいと願うのは、傲慢なのだろうか。
願わくば、日々の生活がデジャヴのそれと変わらない退屈なものにならぬよう、日々クダラナイことに真剣にトライして生きたい。
今日はついに剃ったぞ。全部じゃなく裏だけだが。そうだ。やってみることが大切なんだ。
明日も未知の経験を。1日1未。
こうやって楽しんでいければいいなと思う。
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