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「太宰治へ」連載小説(五)

  そんな具合で日々に、唾を吐いては拭き取っての繰り返しをしていました。毎日、なにか見落としているような気がして、まともに暮らすことすらできるのにできませんでした。
附和雷同。虚無。自分はただ周りの口に、むりにあわそうとする、猿芸の達人だったようにおもいます、しかし達人だからとて皆からの慈悲も同情もなにも無いのです。
 附和雷同とかいて虚無とよぶ。むりにあわせて、しっくりくるじゃないですか。

 加えて、自分は人の期待には忠実にこたえる優しい紳士で相手にとっても易しい紳士でもあったのです。例を上げるならば、私の運命をほぼ私情で左右する先生に対してはよくその紳士的態度と気づかいの努力を怠ったことはないということです。
 自分は、明日の自分を楽にするために今日の自分を苦しめました。明日へ効く苦酒を肝臓にいやいや流し込みました。
 その努力は果して。
 いや、よく分かりませんが、成功したと言ってもいいでしょう。

自分はけっしてゴマをすりすりこすりきったわけではありません。上手く使い分けて、猿芸を加えながら先生の顔に自分にとって勝利の微笑を浮かべさせました。
 特に国語の先生とは懇意になれたと思います。別にどうというわけではありませんが、もしこれを読むのだとしたら、色々とすみません、とかく。
 数学の先生とはなかなか噛み合わなかったと思います。ガラクタの歯車を無理に合わせようとしたのが間違いでした。あなたのせいで、自分は毎夜寝苦しい思いをしました。あなたは大して気にしていないようですね、その間抜けさを、自分は呆れながら憎みます。一番嫌いでした。

いや、自分はこんな事書きたいわけではない。つまり、成績どうこうという欲と人によく見られたいと言う欲が、良好の歯車のように噛み合って、このような性格が形成され、先生方とこのように接したわけです。ですから、他の生徒に悪く言われているのを不憫に思ったわけではございませんし、慈悲深いボランティアをした訳でもございません。ただ自分の欲のためだったのです。他にも自分のような生徒がいましたが、その奴らも結局はそういった経緯でボランティアしているのです。猿芸ですよ。猿真似とも言えるでしょう。たしかこの生徒もKだった気がします。自分のようで嫌いです。気味が悪い。確か今は、兵庫一の進学校に通っているらしいのです。

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