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「太宰治へ」連載小説(七)
おのれの体にむちうっては、おのれに嘘という効果のない鎮痛剤をうって気持ちだけマシにさせて、それを馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返すといった自分が自分にかけた罪を、たいへん多く犯してきましたが、もっとも罪悪と呼べるものはやはり自分をいじめ殺して、他人を笑かす芸です。道化とも言います。自分の芸は、とことん他人の間で広まり、やがて醜聞となりました。
自分は薄欲だったのです。サービス精神旺盛であったのです。他人のために自分を殺す、易しい紳士なのです。「優しい」ではありません。自分をいじめる優しさなんて優しさではありません。自分は相手に利用される易しさなのです。自分はこのことを当時既に分かっていましたが、どうやら分かっていただけのようです。
それに自分は、人は醜聞の為に生き、それに飢えていることを知ってしまったのです。そこでやはり自分のサービス精神orボランティア精神のおかげでこの自殺行為をしてしまったのです。
いずれは善良な人間が自分のこの自殺行為を食い止めてくれると信じて生きていました。そして、やっと、来ました。自分のこれを、食い止めてくれる人が。
しかし、彼は自分が信じていた以上に無責任な同情を押し付けて、自分を哀れだとほぼ卑下したあげく侮辱した。こう考えるにあたっての理由はある。
第一、そいつとは特別仲が良いわけではなかったし、クラスの者はその光景をみて笑いやがった。そこで始めてそのような事だと勘づいたわけである。確かこれもKであった。
人はどうやら裏切るのが好きなようである。なにかチクチクくるこの痛快がたまらないのでしょう。それも、裏切る人を卑しく限定して行うのである。コイツだったら許されると、勝手に決めつけるのである。決めつけられる者は、哀れなもので、その相手の罪な期待にこたえようとするのである。また、期待にこたえようとする者は必ず裏切られる運命である。