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「太宰治へ」連載小説(六)
自分は女にもその猿芸否ボランティアを行っていました。自分は人生において、女にさえ好かれていれば、物事が順調に進み、また一種の権力者になることさえできると思っておりました。ですから、あなた達を好いている訳でもないですし、女であることの苦悩を慰めるためでもありません。これは自分の、死んでいった彼女に言いたい。責めるつもりはないが。
自分はこの心意気のおかげで、ある程度モテていました。(元々女に好かれやすい本能的体質だったのかもしれません)しかし、自分はモテていたことに一瞬の自己満足を感じたことはありませんでした。むしろ恐怖を植え付けられました。
前述の物事が順調に進み、と申しましたが、これは撤廃したい。そんなことはありません。女の未知の、闇のおかげでそのような妄想は幻滅いたしました。
自分のことを好いていたとも思えるある女は、自分がモテてあることを、なにか不安に感じたのか、誰が自分のことを好きなのかを巧妙に(自分の弱味を突いて)聞き出し、自分が申し上げた女達をいじめ始めました。そして自分にその女達の悪癖やらなんやらをひたすらその女に聞かされました。
もちろん女の意図は分かっています。しかし女は、自分がその意図に勘づいていることを分かっているのでしょうか。分かっていないのであれば、自分は深くため息をつくでしょう。分かっていても、自分は深くため息をつくでしょう。
いやこれは、その女だけではありません。自分は全人類中約三十八億人の女に嫌悪と、それから不安を抱き、信頼という珠玉のたまものの一切を消すでしょう。
しかしこの女性嫌悪は恐らく自己嫌悪によるものでしょう。女性の中に一つはあるであろうその闇が、自分の心の正体のようで大変気味が悪くなるのです。女性に対する信頼がないのも、明日の自分が裏切られることがないようにしているだけです。
女は裏切る生物で、それは運命なのです。そして男はそれに絶望してしまう運命でもあるのです。
注釈すると、自分は女が好きです。しかし、嗚咽しそうなほどの嫌悪も抱きます。好きの反対は嫌いではありません。無味です。
それと自分はこの後付けのような注釈は嫌いなのです。これはまさしく女性嫌悪のせいです。私の偏見からすると、女性というのはこの注釈に似た、ガムみたいな、ああやりきれねえ。梅雨のような気分の悪い、カラッとしてない。気持ち悪い。ああやめよう。